2026年6月20日土曜日

叔母が亡くなりました。

 


従弟のRくんから、叔母が朝方亡くなったという連絡がラインで入った。

先日の日曜日に最後、会いに行くことができ、良かったと思う。認知症のためにここ4,5年、家族のこともわからなくなってしまっていたが、最後は静かに逝かれたのだろうか。

3年前に亡くなっただんなさん(叔父)の葬儀では、誰の葬式なのかもわからなくなっていて、ひたすらにこにことして、みんなの会話に入りたそうにしていた。

叔父の後半の人生は、病気やケガ(脳出血とその後遺症、心臓の不具合などや、転んでの骨折複数回)に見舞われ、入院が多くて大変だったようだった。が、その世話に追われた叔母も大変だったようで、世話好きな性格のために余計に自分にプレッシャーを抱え込んで苦労した様子だった。

自分は、パパ(だんな)よりもずーっと!長生きしてやるって決めてるんだ!と言い張っており、やはり世話に明け暮れる日々から解放されたらのんびり暮らしたい、と思っていたのだと思う。皮肉なことに、少し長生きはしたものの、認知症によってその思いはかき消され、浄化されたというのか。

先日の面会時はすでに、目もうつろで、ぼーっとしてあまり動けなくなっており、(体も小柄だが)体重も20キロ台にまで落ちて血色も土気色に近く、生気が抜けていた。

去年の夏ごろにも一度、家族で叔母に面会に行ったときはまだ元気で、母のひ孫(兄の孫)の写真を見せたときに、「いい子ね~。」と、満面の笑みで笑っていた笑顔が、印象に残っていた。


ゆで卵の作り方その2

 

ゆで卵メーター。絵柄がかわいかったので、他のものも買ってみたが、表示が薄くてわかりづらかった。こちらだけをずっと使用することにした。

ゆで卵メーターはすでに必須品である。なぜかというと、時間の管理が大変だからである。沸騰したら何分ゆでる、などと言われると、沸騰したタイミングを見計らわないといけないので、鍋の前で沸騰するのを待ち、そこからタイマーをかける、といった面倒があったり、沸騰タイミングに遅れたりするともう、あと何分茹でればいいのかがわからなくなる。そもそも、「沸騰を始めた」というのが、出てくる泡の多少にばらつきがあって、正確に言うといつなのかが、わからないのである。

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前回の卵の記事で、穴あけのタイミングがずれた話を書いた。世の中の常識だと、やはり、ゆでる前に穴あけをしてゆでるのが一般的なようである(ネット調べ)。がなぜか、その方法だとこれまでうまくいかなかったのである。

今回は、前回同様に「ゆであがった後に」穴をあけ、殻のむき始めに水を当てながらむき出すと、するっとむくことができた。茹でるときに塩を入れたのが良かったかどうかまではわからない。塩を抜いてゆでる実験もしてもいいのだが、ぬいて失敗するのも痛いので、どうしたものか、考えている。



2026年6月18日木曜日

ファミリーディナー

 






同じ履き物で三度のハプニング

 夏になるとやはり、どうしてもサンダルを履きたい。が、その同じ履き物で、日曜日から立て続けにいろいろ起きてしまった。

①母と長めの外出をすると、決まって母のトイレの介助をしないといけなくなるのだが、その時に母が便器の外側にそそうをし(大の方)、床が黒かったので気が付かず、私が踏んづけてしまった。拭いて消毒液で処理し、帰宅後に良く洗っておいた。

②夜間、明かりが少なく視界が効かない中、母のホームに入るスロープを、車いすを押しながら上がる途中、もしかするとゴキブリを踏みつけてしまった可能性があった。(娘が発見)その後ゴキブリは、あまり動いていなかったことから、踏まれて弱った可能性もある。

③②の後の帰宅時、坂の途中に自宅マンションがあるのだが、霧雨の降る中、坂を下りながら入口に入ろうとしたところ、微妙に濡れた石タイルのところで滑り、スリップを止めるためにしりもちをついたので打ち身はないが、石の手すりで肘をこすり、腕に大きめのすり傷を作ってしまった。

が、「ゴキブリを踏む」という検索をしていたら、スピリチュアルな意味、という語句がヒットしたのでしらべたところ、・過去のトラウマの解放・新しい挑戦への一歩・潜在能力の開花、といった良いことが書いてあった。ついでに「うんこを踏む」では、運がつく、つまり運がアップする、などのプラス面が書いてあったので、前向きにとらえてみようかなと思ったのである。さらに、転倒することのスピリチュアル面を調べると、休息や見直しへの促しや、魂のデトックス、新しいステージへの移行、などのいろいろな意味があるようだった。

個人的にはいろいろ踏んで嫌だったので、サンダルは③のあとで即捨ててしまったが、前向きにとらえておきたいので、スピリチュアルを採用しておこうと思う。



すり傷の治療

 ものすごく前なのだが、娘が小学生の時に、たしか、転んですり傷を作った時に、一緒に遊んでいて近所に住んでいたNちゃんのお母さんが、手当をしてくれた。その方法は、オロナインH軟膏をたっぷりつけたガーゼを、すり傷にのせて、上から包帯をくるくると巻く、という方法だった。


そういえば以前、旅行先で私が転んで腕に大きなすり傷を作った時に、友人のMちゃんが救急セットからインドメタシンか、バンテリン(インテバンか)などといった塗り薬を貸してくれて、つけてからガーゼでカバーしたような記憶がある。

私は幼少時代にどのような傷の手当てを受けたかというと、あまり記憶がないのだが、昔々赤チン、というのがあり、それを付けられた覚えがある。受けた傷以上に使用した部位が真っ赤に染まり、コットンや綿棒の用意もなく、キズの上にボタボタふりかけられた。垂れた薬液の筋も真っ赤で、キズの痛さ以上に見た目でへこむ感じだった。そして乾くとなんやら表面がメタリックグリーン色に光を反射するのも毒々しく、全く好きになれなかった。

が、マキロンなどの消毒液が出てきて、そちらをかけておけば安心、という感じになったのでそちらが主流になった。が、母には傷を保護するといった知恵は全くなく、家事も苦手な親なのでそれ以上の工夫は何もなかった。

そして今どきの調べ方としてAIに質問してみたところ、軟膏類+ガーゼ、はすでに以前の治療法だということだった。今どきは、傷を清潔にしてから、乾燥させすぎない(場合によってはワセリンなどを使用・・私にはあまり合わないようだった)ことがおすすめで、衣服や寝具にこすれないようにしたい場合は、傷パッドなどでカバーしてください、とややシンプルな感じになっているようだった。

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従来の通りに、傷口に何かを塗布(オロナイン軟膏、ワセリン系ですら)すると、長い間、傷口がヒリヒリ痛い。

消毒液だけ吹き付けて殺菌し、そのあとで傷パッド(100均でも売っている)をあてて、サージカルテープで止めて保護しておくと、それほど痛くなくちょうどよい感じだった。


2026年6月16日火曜日

またもや歯の根管治療

 唾液腺が詰まっているのか、辛い物や酸っぱいものを食べた後、毎回ではないが、時折、耳の下がパンパンに膨らんでしまうことがあり、口腔外科の診察を受けに行った。そこで、CT撮影をとることになった。

唾石、というものがあると、唾液の出口に詰まったりするそうなのだが、唾石は映っていないようで、もしかすると粘度の高い塊があって、出口を少し狭めている可能性があるということだった。時間を置くとあごの腫れはいつも引くので、時間はかかるが、ゆっくりと唾液は腺から出ていく感じである。

石などがあって、唾液腺が完全に詰まってしまうと問題があるため、特にそれが喉などの部位にあると、全身麻酔をして除去手術になる、という説明をされたのだが、今回は石はできていないので必要ないということだった。水分多めにとってくださいということで終わった。

が、それとは別に、歯のほうの病理が見つかり、またしても歯根が虫歯菌のせいで炎症を起こして奥まで達していて、菌が副鼻腔の方に飛んでしまうとやっかいなことになるため、早めに治療してください、ということだった。黴菌が鼻孔の方まで行くとは、どれだけ不潔で不快なことなのかわからないが、嫌だったのですぐにかかりつけの歯科医院に予約をとり、翌日にすぐに通院した。

おなじみの治療の図。ファイル、というドリルっぽい器具を、最先端までグリグリするが、麻酔をしてから行う。

今年の1月、寒い時期に冷たい風が治療したほほにあたってしみて、(削られるときに詰め物がセラミックだったか、かなりひびき、痛かった)治療後も痛いしヨレヨレになって帰ったのだが、今回はつめものが硬すぎなかったのでダメージも少なめで、もっと楽だった。

2026年6月15日月曜日

叔母に会ってきました。(グループホーム)

 


叔母の息子であり世話をしている従弟のRくんとは、数年前からラインをつないで連絡をとっているが、叔母が発熱後から、水や食物をあまり口にしなくなっており、去年の暮にも一度そうなってからその時には持ち直したのだが、今回はどうかわからない、ということでRくんから連絡をもらった。

数年前まで実家暮らしをしていたが、叔母が時折私にも連絡をとり、コロナ前の2019年に一度三軒茶屋で会ったのだが、すでに認知症の疑いがあり、Rくんが付き添ってのことになった。その後、ホームに入っていたが、コロナに感染してから認知症がひどくすすみ、息子の顔も名前もわからなくなってしまったのだった。が、他に病気はなく、普通にホームですごしていた。

が、熱が出てから飲食ができにくくなり、飲食をしたいという本能も認知症によって忘れられ、働かなくなっている、という話を従弟からきいた。そして、点滴をすれば、延命はできるけれども、本人の体も動かなくなって意識もかなり怪しくなり、延命をする意味もあまりないため、点滴はしないで自然な形で対応するということにしたそうだった。

が、むしろその方が本人のためでもあるし、枯れるように亡くなるのは一番安楽な方法のような気がするので、きっと良い方法なのだと思った。

なので、今回の面会が最後になるという予想もしながらの面会となった。姉である母もそのつもりにしてもらい、兄が運転する車に乗り、皆でホームに向かった。

叔母たち一家は以前、大阪に住んでおり、叔父の病気と退職をきっかけに上京してきたが、大阪にいた時に一度、私が中学生のときに家にお邪魔したことがあった。Rくんは私より9歳年下で小さくてかわいかったので、一緒に遊びに行った従妹のMちゃんと一緒になっていじって面白がったり、そんな記憶やほかのいろいろな思い出を、すでに何も理解できなくなっている叔母の前で、R君と語り合った。

Rくんの次女のIちゃんも来ていたが、ずっと泣いていた。きっと悲しくなっているのだろう。みんなで記念撮影の写真を撮ってきた。