2026年9月12日土曜日

炊飯器を買い換えました。(メモ用)

 


最近、炊いた米の上部が乾いていたりと、おかしいと思っていたら、炊飯器のフタの抑え部分が破損して、きっちりと閉まらなくなっていた。使用6年経っていたが、内蓋の掃除もちょっとしづらいのが気になっていた。

6年経過した炊飯器でも、炊き具合はとてもいい具合で、炊飯器自体の能力はどれも高いと思われるが、そこそこ評判の良いもので、内蓋を外した時の裏側も掃除が楽そうなものを選んだ。


2026年9月8日火曜日

またしても、中途半端な予知だけ当たる

 

地震や災害などについて予知ができればもっと有用なのだが、残念なことに、TVに出てくるものについて(エンターテイメント系)、主に話題となる人物などの名前についての予知しかできない。毒にも薬にもならないので、記録のみ。

予知の当確を確認できたのは、たまたまつけていたテレビ朝日「東京駅近大冒険」(石原良純と小泉孝太郎出演)のワンシーンだった。

前の晩の入浴中?あたりで、確か違うことを考えていたはずだったのだが急に「ヤン・ヨーステン」の名前が頭に降りてきて、んん?名前を知っているから思い出したのだろうが、これは誰だったっけ?と思いながら、そのまま放っておいたものであった。

そして翌日の番組放送でそれが出てきて、疑問に対する答えがそこで得られたのである。

ヤン・ヨーステンは鎖国前の徳川時代、1600年に三浦按針とともにオランダから渡航してきた人で、語学に優れ、通訳として徳川家康から庇護を受けて日本で暮らしていたということ。貿易業に貢献したようである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%B3

その名前がもじられ、やよす>八重洲(やえす)、という地名の由来になっているということだった。

番組では八重洲地下街の魅力が伝えられ、スイーツ、レストラン、すし屋、甘味処とさまざまなおいしそうなお店が紹介されていた。せっかくなので、いい機会があれば訪れるのもいいかもしれない。



返事を考えていないことをとっさに聞かれたとき

 

線状降水帯が居座るために、関東地方では大雨が降る予想がされていて、小中学校では休校措置が取られる、などのニュースが入っていた。(実際には大事には至らなかったようだった)


家で使わないものがあると、メルカリなどで販売しており、売れた商品があったのですぐに発送を行ってあげたいと思いながらも、荷物が濡れにくい方が良いので天気は気にしていた。が、翌日は天気が一時的に回復するような予報のため、本日の夕方ごろに引き渡せばタイミングは良い感じになるのだろうか、と一人考えながら、コンビニに発送品を持ち込んだ。

その時に、若いアルバイトっぽい店員さんに、「到着希望日は有りますか?」と明るく、サクッと聞かれた。エッ。店員さんは業務上必要なことなので、普通にきいてくれている。が、そんなことは考えていないから知らないよと思いながら、「いや、ないです。」と答えた。雨の降らないときの配送が良いと思っているが、そんな指定はない。週明けにしてしまえば安全なのかもしれないが、配送が大幅に遅れる。考えるほど、これで良かったのかわからなくなり、OKボタンを押しながら、あー押しちゃったけど良かったかなと心の中で一人また優柔不断になり、「日にち指定、まだできますか?」と聞こうかともグダグダと考えながら、それじゃあいつに指定すればよいのかもわからない。状況は先に先にすすんでいく。

一応外側の厚手紙袋の内側は、45Lビニール袋で包んだので、それらが破損しない限り中身まで濡れない。濡れたとしても外側紙袋のみなのでセーフである。が、それがびしょ濡れだと、受け取る方はまず、うわあ・・、と思うはずである。そのうわあ・・、が自分的にとてもイヤなので、そうなってほしくない。が、配送業者さんへの一方的な期待だが、雨の日でも荷物が濡れていることはほとんどないので、ありがたい対応努力をしてもらえているのだろうというのも少しはある。

表面上は、何も起こっていない。あれこれ考えてしまう自分の内心はおいたまま、ごくスムーズに伝票をうけとり、封入してレジをあとにした。雨の日は、自分の気持ちもぐちゃぐちゃしがちなのかもしれないが、行動に引っ張られてさっさと終わってしまった。あー、まあいいか、と思っておいた。



2026年9月4日金曜日

やっぱり母は変わっている

 


ホームに娘と一緒に行って部屋にいた時、母が娘の顔立ちについて話していた途中、こんなことを言い出した。「ようちゃん(仮名)、白目が大きいわね。」

え・・。白目の大きさについてわざわざ感想を述べる人は、生涯初めてであり、しかも内容が変で、おかしな違和感しか残らない。

母はADHD寄りの発達障碍者だと思われるが、いつも外側の特徴について敏感に感じ取るがゆえに、すぐに誰々の外見はどうだのこうだの、そんなことばかり話す。人の空気が全く読めないがためにそうなるのだと思っている。

そもそも、なんかの判断やら診断やらをしているわけでもなく、和やかに会話をするような場なのだが、唐突なタイミングで白目が大きいと言われて、誉め言葉だとか嬉しいだとか感じる人はいない。むしろ、黒目が大きい方が一般的には良い印象だし、特にいい意味には受け取りにくいが、もちろんその程度のことで、こちらが怒ったり不快に感じるほどではない。

とにかく言われた側としては、へ??という感想しかないし、いや、だから、何?としか思えない。普通の人は、その発した言葉の意味そのもの以外に、発した結果とか、どういう意図でそういうのか、普通に受け取るのだが、母はやっぱり変であった。

つまり、そこまで感覚をつかめず、自分の見た通りに言うことが重要で、「他者の視点を感じ取ることが抜け落ち」ている。これが、一部の発達障碍者が周りの人に対して何の抵抗もなく失礼な言葉を発し、怒らせてしまう原因のようである。

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(そして、物事を流れでとらえたり、他者の視点を意識することが苦手な母に、二十代まで洗脳されて育った自分も、それなりに生きざるを得なかったということである。自分にもお疲れ様と言いたい。)


2026年8月31日月曜日

かねてから行きたがっていたレストランに(二子玉川)

 通るたびに行きたいと言いながら2,3年もの間を経て、ようやく行ってみることになった。それなりに高級なものがあり、コースではなく食べたいものをアラカルトで注文し、取り分けて食べた。


チーズリゾット



パテの盛り合わせ(二品)、右側が単品では出てこない鳥のレバーのパテ。生クリームも入っているそうで、まろやかでとてもおいしかった。

かぼちゃのポタージュ


アダルトチルドレンの「怒り」についての分析

たまたま目に入った複数人の方のXへの投稿で、 以前自分が問題に感じた知り合いの言動について、このような分析もできるのだろうか、と思ったことが書いてあったので、保存記録しておきたいと思った。親が毒親であるかどうか、というのは投稿者さん側の表現上の言葉なので、当てはまるかどうかまでは、わからない。(本人的に問題を感じるなら、精神科の受診が良いと思う。)

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毒親育ちアダルトチルドレンの「他人への突発的な怒り」には、必ず自分の我慢の歴史が隠れてます。

僕の友人が、電車で足を広げて座る人に 異常な嫌悪を感じると言ってました。 本人も「こんなことで」と落ち込んでた。 でも話を聞くと、その友人は幼少期から 「人に迷惑をかけるな」を徹底的に躾けられて、 自分のスペースを主張することを一度も許されなかった。 つまり怒りの対象は足を広げた人じゃなくて、 「私は広げることすら許されなかった」という記憶。 ムカついてるんじゃなくて、疼いてる。 この視点を得てから、友人の怒りは 自分を責める材料から、 自分を知る手がかりに変わりました。 怒らない人になる必要はないんですよね。
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毒親育ちって、電車のマナー違反とか、サボってる同僚とか、他人の些細な行動に突発的な怒りが湧くんだよね。 で、その後「こんなことでイラつく自分は心が狭い」と二重に落ち込む。 性格の悪さで片付けてるうちは、この怒りは一生消えない。 精神科医の間で知られてる、その正体が拍子抜けだった↓
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他人への怒りの正体は、心の狭さじゃない。 「我慢して生きてきた人ほど、他人に怒りや嫌悪感を抱きやすい」。自分が必死に我慢してることを、目の前で平然とやってる人を見ると、心が悲鳴を上げるんだ。 ムカついてるんじゃない。「私はこんなに耐えてるのに」って、昔の我慢が疼いてるんだよね。
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精神科医がよく指摘する構図がある。ルールに厳しい人ほど、実は誰よりルールに縛られて生きてきた人だという話。 サボる人に怒るのは、サボれなかった人。自由な人にモヤつくのは、自由を許されなかった人。つまり怒りの矛先は他人でも、震源地はいつも自分の我慢の歴史なんだ↓
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分かれ目は1つ。怒りを「相手を裁く材料」にするか、「自分の我慢を見つける手がかり」にするか。 やるのは、怒らない人になることじゃない。カチンと来た瞬間、「自分は今まで、何を我慢してきたんだろう」と一度だけ問うだけでいい。答えが見つかるたび、同じ場面で腹が立たなくなっていく。 他人にイラついてしまうのは、心が狭いからじゃない。それだけ我慢してきたんだ。怒りが湧くのは、おかしくない。
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2026年8月25日火曜日

近ごろ売られる食料品が貧しくなってきた感じがする

 簡単に検索すると、「スーパーやコンビニの惣菜が「貧しくなった(質が落ちた、量が減った、値上がりした)」と感じられる背景には、近年の原材料費やエネルギー価格の高騰、そして実質賃金の伸び悩みによる生活者の懐事情の変化があります。」ということで、体感としてとてもそう感じることが多くなった。

そもそもは、2022年のロシア・ウクライナ戦争から、いろいろなものが物価高になったが、しばらくはまだ耐えていた感じもする。が、イランイスラエル戦争により、さらに拍車がかかり、お弁当一品買っても、おいしい、おなかがいっぱいになる、という品物が本当に少なくなったと思っている。

ネット画像を引用

食料品の貧困化がすすんでいる、というしかないだろうか。2,3年前までは、家で必死に調理しなくても、おいしくて安い食料品がスーパーにあり、見ているだけで食べたいと思って買えるものがたくさんあったのだが、最近、目で見ても微妙な感じになってきた。中に入っている肉や魚、やさいなどが小さくなったり、食べてもパサパサ、スカスカ、ペラペラだったり、あまり質の良くないものになっている感じがする。

一から買って調理するのが一番まともなものを食べられそうな気がするが、それはそれで、帰りが遅くなった時には手間が大変であり、一部調理を加えたりだのするのが良さそうである。

回避しようとすれば、もちろん出費も増えるし、手間も増える。食が貧しくなっている、としか言いようがない気がする。