2021年9月16日木曜日

泉屋のクッキー

 

昔、もらいもので食べたという記憶。好きなものと苦手なものが入っていて、クッキーの全種類箱詰めタイプというのは、いつも微妙だと感じてしまう。

私のお気に入りはリングダーツと、真ん中にドライフルーツののった、ショートクッキーである。
https://www.g-call.com/shopping/goods/detail.php?ygo_no=26518&gdp_no=26530


たまたまデパ地下を歩いていたら、リングダーツだけのひとまとめパックが売っていたので、購入した。ショートクッキーのパックも希望したい。

2021年9月13日月曜日

本日は、フルーツエクレアでお祝い

 

あまりがっつりとしたケーキを食べたいという気分でなくても、このくらいなら軽いので食べやすい。自分もまた無事に一つ年齢を重ねたので、子供とお祝い。

去年はケユカのフルーツゼリーを買っておいしかったという記憶があるが、そちらのエクレア版というのだろうか。ケユカではなく、箱には「ドルチェフェリーチェ」と書いてあるので、あれ、ケユカじゃないのかと思いきや、レシートにはケユカと書いてある。

KEYUCAのスイーツブランドがドルチェフェリーチェ、ということらしい。ケユカというのは日用品販売部門も含めた小売りチェーン店で、その中でスイーツを販売しているお店が「ドルチェフェリーチェ」なのだとのこと。なんだかややこしい。

 フルーツはとてもおいしく、体に良い気もするので、最近はほぼ家に何かしらのカットフルーツが置いてある。真夏の間はスイカが主であったが、売っているときにはパイン、ナシ、リンゴ、メロン、ミックスフルーツなど買っている。時々大玉のなにかしらを買ってむいても良いのだが、面倒なうえに分量が多すぎたりしてもたつき、扱いづらい。

そういえばフルーツだけを食べて生きているという研究者の人がいて、ずいぶん変わった人だなあと思ったのだが、意外にいけるのかもしれない。

https://dailyrootsfinder.com/fruit/

今はあまりマネする気もないが、食糧難がやってきたとき果物だけを栽培して食べ続けると、この人みたいに大丈夫なのだろうか。



2021年9月12日日曜日

先日見た、怖いもの

骨格的に多分?男性のように見えた

 

 近所の散歩を済ませて買い物をし、帰途についた途中だった。夕方の、いわゆるたそがれ時となって薄暗い感じだったと思う。治安のよい住宅街で、たしか、行きにはいなかったと思ったのだが、通ろうとした道に足を踏み入れた時だった。前方で「体育座りをしている足」が、こちらを向いて、だしぬけに視界に入ってきたのだ。

 やや坂上で薄暗いので、顔や表情までは確認できなかった。様子がおかしいのは、ひざから下は、何も履いていなくておそらく裸足なのではないかという状態だったこと。

 そういう点から、通行者が気分が悪くなって座り込んだ、という感じでもなさそうなので、家からの締め出しを食らったとか、ホームレスの類だろうか。それにしても骨格の感じからして子供にも見えないし、おそらく男性?のように見えたし、状況が変なので精神状態がおかしいのだろうか。なんらかのトラブルに巻き込まれるのも恐ろしくて近寄れなかった。

 踵(きびす)を返して違う道へと大きく迂回し、前を通らないように避けて帰ったのだが、一体あれは何だったのだろうか。一番もっともらしい結論は、知的障害や認知症を患う男性?が、暴れたり、あまりのめんどうくささに家族にキレられて、少しの間家から閉め出しをくらった、とかだろうか。


2021年9月11日土曜日

大きな天変地異


地球のポールシフトによって、あっという間に水の流れが変わって、大陸が多く沈没するということだった。(エドガー・ケイシーの予言)

 (Youtube動画より)根拠をどこから出しているかというのは、「アカシック・レコード」というものにアクセスして読み取っているそうなのだ。日本もすっかり沈没して、跡形もない。そして、他の陸地の沈没とは正反対に、アトランティス大陸(地図の左下あたり?)がまた、海面から浮上して現れるのだそうだ。が、あとから調べたところ、1998年に火山噴火によって日本が沈没することになっていただの、いや2016年だ、だのいろいろな説が過去に錯綜し、よくわからないことになっているので、この予言は放っておくしかない。

 それよりも、本で見た著名な地質学者の方の、「陸地の地震予測は難しいが、歴史的事実と、海底の隆起の大きさの観測によって、海中での地震が起きる時期がわかる」いう説明。こちらのほうはかなり信ぴょう性が高い気がする。

 それが、南海トラフ地震が2035年プラスマイナス5年(2030~2040年)で起きる可能性が高い、という話であり、火山の噴火や大津波が予想されるという。

予言の水没はいつ起こるか、信ぴょう性もすでにわからないが、(ここから勝手な仮定)同時に起こることにすると、近場だとパプアニューギニア奥地やニュージーランド、オーストラリア奥地に事前に逃げたら水没しないかもしれない。

(後記)こちらの記事もあったので掲載したいと思う。

上記の地図は、スカリオン・マップとも呼ばれるらしい。

http://fromnewworld.com/archives/2147


2021年9月6日月曜日

てんやの天丼お届け

 

天丼と言えばてんや。いろいろ入っているので、どうしてもオールスター天丼ばかり買ってしまう。

母はホーム入所から、はや1年半が過ぎ、慣れたといってもやはりずっとそこにいると飽きてきてしまうので、コロナ禍だが月に一度は兄の引き継いだ実家の自宅に戻ってランチをするという定例行事を行っている。車でホームに迎えに行って、道中、車いすを押してやりながら、スーパーの中をあちこち移動して好きなものを買うのである。お供は兄・私・子供といつも3人ついている。

が、先日まで東京都の一日の感染者数が5000人にも達し、かなり恐ろしくなってきていた。車いすのお供をすると2時間くらいはゆうに超えるので、スーパーなどにそんなに長時間居たくない、ということで買い物を断った。(一人で行って希望品を買ってきてやったり、車いすで外散歩に連れ出すのはOKだが)

実家の集合も今回は会食を断っていたが、てんやの天丼を食べたいと母が言うので、三軒茶屋まで電車で買いに行き、実家に届け、みんなの顔を見てから失礼した。

エビをそれぞれ1こづつ追加で、合計6個の注文。(うち4個はつゆ多め、2個は私と子供ので、つゆ多めではないのが良かったので、2個だけ普通、というややこしい注文となった。)



2021年9月3日金曜日

本日は、中学時代の社会科の先生の話

 


社会科の先生で、「あらまん」先生という先生がいた。名前からとってつけたあだ名だが、普通に誰もがその名前で(本人以外の前で)呼んでいた。

本棚に入れた色鉛筆を出して少し使ったりしていた途中、あらまんから色塗りの方法を授業で教わったのをしみじみと思いだした。地理の日本地図を都道府県ごとに色分けしていたのだが、とにかく、薄く薄く塗るのが、きれいな色塗りのコツなのだそうであった。当時私は先生の話を真面目に聞いて、そうしたところ、大変にほめられたのを覚えている。

ミクシィで、元居た中学校のコミュニティがあるようなのだが、ほんの2,3年前くらいだっただろうか、あらまん先生は2009年ごろに亡くなっているという情報を目にしたのだった。非常に生徒指導に熱心な先生で婚期を逃してしまったらしく?独身だったという噂は覚えているが、身寄りがおらず、亡くなった時もひっそりと葬儀が執り行われて、以降、それっきりだということだった。良い先生だったので、とても残念である。(がん?逝去時60~70代くらいか?)

あらまんの話してくれたエピソードの中で思い出したものを少し書いてみる。あらまんは、ちょっとドスのきいた感じで一見怖いのかと思いきや、愛情をもって生徒指導をする熱血先生であったが、やはり学生時代はコワモテだったのだろうか。高校?受験の時の話をしてくれたのを覚えている。

受験の面接で一通り終え、後ろを向いてあらまんが退室しようとしていたときに、面接官が(おそらくわざと)、ペンか何かを床に落としたらしいのだ。あらまんの推測によると、後で考えたらおそらく、振り返り方をテストしようとして(不良系だと振り返り方でもばれやすい)、わざと物を落として試してみたのだということ。が、あまりの緊張で、振り返る余裕もなく部屋を出たとのことだった。(無事、合格できたようだったが)

あとは、北国出身だったのか、冬の田畑が凍ると、包丁を足に括り付けてスケートした、とか、ソビエト(当時名)のソホーズ・コルホーズ農法がどうだの。すぐ覚えるがすぐ忘れる人、それと反対にその友人は、時間がかかるが一度覚えると長く覚えている、などの話。記憶もかなりとびとびだが、聞いた話をところどころ覚えている。

当時私のいた中学校は、一部の部活がとても活発なうえに強く、そこに所属する生徒はやはり派閥となって幅を利かせていた感じがあって、強気で華やかな人たちが多いイメージだった。自分もそうだったが、それらのどれにも入っていない人は、普通の人というのか、平民というのか。

一番えらいのがバスケ、次がバレーボール、その次が合奏、だったと思う。その女子バレー部(バレー班という呼称であった)の指導顧問を務めていたのがあらまんで、体育館の中でバレーの指導を部員たちにしていたのを目にした記憶がある。いい感じ、うまくまとまってそうだなあ、と、遠巻きに見ていたのであった。

なんにせよ色鉛筆の思い出は、はるか遠いながらも、他の記憶と共に深く残っているのである。