2021年9月3日金曜日

本日は、中学時代の社会科の先生の話

 


社会科の先生で、「あらまん」先生という先生がいた。名前からとってつけたあだ名だが、普通に誰もがその名前で(本人以外の前で)呼んでいた。

本棚に入れた色鉛筆を出して少し使ったりしていた途中、あらまんから色塗りの方法を授業で教わったのをしみじみと思いだした。地理の日本地図を都道府県ごとに色分けしていたのだが、とにかく、薄く薄く塗るのが、きれいな色塗りのコツなのだそうであった。当時私は先生の話を真面目に聞いて、そうしたところ、大変にほめられたのを覚えている。

ミクシィで、元居た中学校のコミュニティがあるようなのだが、ほんの2,3年前くらいだっただろうか、あらまん先生は2009年ごろに亡くなっているという情報を目にしたのだった。非常に生徒指導に熱心な先生で婚期を逃してしまったらしく?独身だったという噂は覚えているが、身寄りがおらず、亡くなった時もひっそりと葬儀が執り行われて、以降、それっきりだということだった。良い先生だったので、とても残念である。(がん?逝去時60~70代くらいか?)

あらまんの話してくれたエピソードの中で思い出したものを少し書いてみる。あらまんは、ちょっとドスのきいた感じで一見怖いのかと思いきや、愛情をもって生徒指導をする熱血先生であったが、やはり学生時代はコワモテだったのだろうか。高校?受験の時の話をしてくれたのを覚えている。

受験の面接で一通り終え、後ろを向いてあらまんが退室しようとしていたときに、面接官が(おそらくわざと)、ペンか何かを床に落としたらしいのだ。あらまんの推測によると、後で考えたらおそらく、振り返り方をテストしようとして(不良系だと振り返り方でもばれやすい)、わざと物を落として試してみたのだということ。が、あまりの緊張で、振り返る余裕もなく部屋を出たとのことだった。(無事、合格できたようだったが)

あとは、北国出身だったのか、冬の田畑が凍ると、包丁を足に括り付けてスケートした、とか、ソビエト(当時名)のソホーズ・コルホーズ農法がどうだの。すぐ覚えるがすぐ忘れる人、それと反対にその友人は、時間がかかるが一度覚えると長く覚えている、などの話。記憶もかなりとびとびだが、聞いた話をところどころ覚えている。

当時私のいた中学校は、一部の部活がとても活発なうえに強く、そこに所属する生徒はやはり派閥となって幅を利かせていた感じがあって、強気で華やかな人たちが多いイメージだった。自分もそうだったが、それらのどれにも入っていない人は、普通の人というのか、平民というのか。

一番えらいのがバスケ、次がバレーボール、その次が合奏、だったと思う。その女子バレー部(バレー班という呼称であった)の指導顧問を務めていたのがあらまんで、体育館の中でバレーの指導を部員たちにしていたのを目にした記憶がある。いい感じ、うまくまとまってそうだなあ、と、遠巻きに見ていたのであった。

なんにせよ色鉛筆の思い出は、はるか遠いながらも、他の記憶と共に深く残っているのである。