2023年2月26日日曜日

たまプラーザ駅前広場の「鹿」オブジェ

 







ブロッコリーのチーズ焼き

 


1.ブロッコリーを株ごとに切り落として茎の外皮をピーラーでむき、茎部分に楊枝などの先が通るまでゆでる。

2.チェリートマト・ベーコン・マヨネーズ・とろけるスライスチーズを好きな分量(特にマヨチーズを多めに)かけてのせ、オーブンで焼く。焦げ目が好きなようについたら、取り出す。

2023年2月25日土曜日

子供の国アイススケート場に行ってきました

 



スケートをするのは10年以上前からの久しぶりであった。靴が足にフィットしておらず、靴を履いた瞬間から刃が斜めを向いていて、さらにスケートリンクが全く整備されておらずに前の人たちが滑った刃の形で完全にデコボコになっており、滑る前に突っかかって簡単に転んでしまいそうであったので、かなり不安がいっぱいであった。これで全くの初心者だったら、とてもじゃないが滑れなく、ずっと手すりにしがみついて、こわごわと前進するしかない状態であった。

幸い、子供のころに自然の運河の上をすべったりするという機会にも恵まれ、習ったことはないけれども、そこそこスピードを出して滑れるという感覚はあったので、なんとか滑ることはできた。

一緒に行った娘のほうはそうもいかず、時折手すりから離れてがんばってはいたものの、かなり厳しそうだった。

代々木運動場のアイススケートリンクに行ったこともあったが、ここまでひどい滑り心地ではなかったと思うので、もし次回行く機会があったら、そちらに行ったほうがきっと良いと思われた。それと、靴が本当に足にあわないものを、ヒモをぐいぐいとしぼって無理やりずれないようにだけして装着する以外になかったので、本当に拘束具のようであり、疲れることこの上なかった。毎年行くつもりなら、マイシューズはあったほうが絶対に良いと思う。

4時閉場だったが、2時間はいたようである。子供の国自体も4時半閉園となっており、広大な敷地なので、出口まで時間がかかるため、ややあせった。お花見の名所?だったか、そんな話も聞いた記憶があるので、またそのころ訪れるのも良いと思った。




2023年2月14日火曜日

「世界らん展2023」を観てきました

 最近まで見に来ていたと思い込んでいたが、コロナの影響もあって、5年ほど見に行っていなかったのかもしれない。ブログ記事の検索をしたが、5年前のものしか見当たらなかった。

 前は東京ドームの本館の中で広々と行われていたのだが、今年はドームが工事中なのか、敷地内のホールで執り行われ、敷地面積もせまく、3~4分の1前後の面積の中でこじんまりと開催されていた。なので、入場料は変わらないようだが、見るのは意外に早く終わってしまって少々物足りない感じがした。


























おまけ:これと同じミニミニサイズのランが数千円という、まさに通のための買い物としか思えない中、かわいらしいムシトリスミレが数百円で売っていたので購入。お水だけで大丈夫ですか?と質問したら、お水はやらなくって平気ですよ、などと言われてえっ、と不審にすら思ったのであったが、サボテンのような感じだろうか。不安を感じたらくわしいお手入れは、ネットで調べたほうがいいのかもしれない。

2023年2月4日土曜日

小学校時代の友人の死去

たまたま開いた2chニュース速報のニュースキーワードに、知り合いの名前が載っていたのでクリックしたところ、先月亡くなっていたというのを見てびっくりした。
 
大阪・毎日放送(MBS)総合編成局アナウンスセンター所属アナウンサー、高井美紀(たかい・みき)さん(1月25日死去)

生前の彼女の様子がよくわかる動画・・(リンク先が変わっていたようなので、
違うものを載せておきます)
https://www.youtube.com/watch?v=fWoYk75R_XM
本当に素敵な、チャーミングな笑顔であるが、彼女が亡くなってしまってとても悲しい。
私が小学校2年~4年生の間に、父の転勤の都合でオランダに駐在していたときに、土曜日に日本語補習校、というところに通っていたのだが、その地域の日本人駐在員の子供たちがそこに集まり、日本語での授業を受けていたのである。先に私が通学を始めていて、後から転入してきて仲良くなったのである。私はオランダの現地校に通ったのだが、彼女はお父さんが三井物産の社員で、インターナショナルスクールに通い、英語はそれなりに上手だったのではないかと思われる。もう一人のあっちゃん、という友達と3人で仲良くなり、三人で手をつないで歩く姿も写真に残っている。オランダから日本に帰って、高校入学時に一回会い、そのあとで最後に会ったのは、彼女がテレビ局のアナウンサーに就職が決まった時に、すでに先に就職していた私と母が、大阪に行く用事があった時に会って話をした時だった。アナウンサーといっても表から見ると派手そうだけど、実際は結構裏側は地味なんだってよ、といった会話をした記憶がある。
 年賀状のやり取りも、1995年の阪神淡路大震災のあたりまでやっていた記憶があり、彼女の自宅マンションにもひびが入る、などの被害があったそうだった(後から調べたら、実際は倒壊寸前だったようだった)。が、年賀状は途中から途切らせてしまっていた。母と彼女の母が年賀状のやり取りをしていたので、その後の話で結婚していることやお子さんがいることも知っていたが、私と彼女とは、ほとんど音信不通となってしまっていた。

 というわけで、彼女の思い出は、若いときの記憶がメインなのだが、日本語補習校で遠足に行ったときに、バスの中でいろんな歌を歌ってくれたのを覚えている。小学校のときのことなどよくまあ覚えているとは思うが、彼女が歌ってくれた、覚えているものを載せておきたい。

「わらいかわせみに話すなよ」

「あわてんぼのおつかい」


また、日本語補習校と、インターナショナルスクールは同じ校舎を使っていたが、移転前はかなりボロボロの古い木造の建物であり、その建物にいたころ、インターナショナルスクールに、ミスター・デイビットソンという先生がいたが、ミスター・デベソ、と呼んでいたのだという話も聞いた記憶がある。(こちらは美紀ちゃんからではなかったかもしれない)

日本語補習校ではアムステルダムのホテルオークラで学芸会を催しており、2年生の時は「夕鶴」(私が主人公のよひょうを演じた。美紀ちゃんはまだオランダに来ておらず)、3年生の時は「ガラスのくつ」(シンデレラ。美紀ちゃんはシンデレラを助ける魔法使いならぬ女神様、を演じ、私は森の大きな木のおじいさんと、いじわるお母さんを演じた。あっちゃんはシンデレラ(二人交代出演の一人)。美紀ちゃんはたしか近視で、メガネを使うことがあったため、女神さまじゃなくてメガネ様だ、と冗談を言ったりしていた。)

 他にも思い出したが、彼女は三人兄弟で、上に二つ上の兄(あっちゃんのところと、うちと一緒)と、弟がいて、オランダ時代のご自宅には、二段ベッドが置いてあった。下の段に寝ている弟・Y君が、寝ているときに鼻をほじる話や、お兄ちゃんのS君が、「ジャンジャカ・ジャンジャンジャーン!」という口癖があってよく言うのよ、などの面白エピソードなども聞いていた。 外見的な特徴だが、彼女はよく赤いパンタロン(ズボン)をはき、前髪は長く伸ばして、マスコット付きのゴム紐でそれをまとめて横にたらしていた。

などなど、子どもの時の記憶が中心だが、思い出深い。

彼女のご冥福を祈りたいと思う。

動画の連続再生で勝手に聞こえてきた音楽が、とても今の雰囲気にピッタリで、しんみりとしてしまう。

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(後日追記;)
彼女はピアノもとても上手で、友達の家などで集まった時にピアノがあると、よくブルグミューラーのピアノ曲を弾いてくれた。名曲に親しむきっかけをもらえた、こちらも大事な思い出であった。
「別れ」「バラード」「気がかり」「再会」「貴婦人の乗馬」などであったと思う。