最近、母の気分転換のために、月1~2回ほど、兄の送迎で車で外食に出かけ、実家に立ち寄ってからスーパーでほしい食べ物を買い物する、という日程で外出をしている。
昨日は味の民芸で、娘も入れて4人で外食をしてきた。
最近、母の気分転換のために、月1~2回ほど、兄の送迎で車で外食に出かけ、実家に立ち寄ってからスーパーでほしい食べ物を買い物する、という日程で外出をしている。
昨日は味の民芸で、娘も入れて4人で外食をしてきた。
(イメージイラスト) |
前々から書いていたが、母には発達障害があり、人ともやや、偏った感じのかかわり方しかできないタイプ(自分のセンサーが極端に狭い(自閉症スペクトラム傾向))なので、非常にマイペースなかかわり方になる。また、一つの事象同士が、頭の中でうまくつながっていないので、話す事項同士がバラバラで、衝動的(ADHD傾向)になることもある。(人生経験によってコミュ力が強化されているので、一般的な状況だとわからない)また、母がこうだと思ったことについては、異様に思い入れが強かったりするので、聞いていると重たかったり面倒くさいことがある。そのような状況なので、話を一方的にきくことになると、途方もなく疲労感が増してしまう。(20代前半くらいまで、自分もこんな母に付き合わされ、大きな影響を受けざるを得なかったと思うがやはり、その後の人生経験によって、母とは多少の距離を置いて客観視するようになった。)
母の話したい欲求は誰よりも強いのだが、声も聞き取りにくくなっているし、私は面倒なので要件だけ聞いたらそそくさと電話を切っている。学生時代の友人もいなくはないのだが、それぞれまだ忙しく、母の話をゆっくり聞くほどの暇人はいないようである。
叔母が本格的な認知症になる前から、母は、「Yちゃんとはゆっくり話し合いたい。どこかに一泊だけしてそういう場をもうけたい」などと言っていたが、すでに本人も手の動きがかなり不自由で要介護状態だったので、付き添いが必須であったのが面倒であったし、叔母も母の話に全面的に付き合うのが面倒くさい、と私にグチっていたので、母にもそれとなくそう伝えておいた。
こんな感じで?くつろぎと語らいの時間を過ごしたかったのだろうか。私は、ある程度の会話は必要だと思うが、話をするのがメインの行事自体には、あまり興味を感じない。 |
叔母は、認知症がすすむ前から、「絶対にパパ(叔父)よりも、自分のほうが長生きしてやるんだからね!」と言い放っていたのを私は聞いていたのだが、これは相当、(30年ほど前に叔父が脳出血で倒れて以降、体もある程度不自由となったため、いろいろな世話も大変だったり、叔父自身、他にもいろいろと気難しく頑固?でデイサービスやその他の外出にも行きたがらないという話もあり)夫に尽くしすぎてしまった?夫婦として連れ添うことに不満もしくは負担を感じている以外にありえない発言だなあと思っていた。(世話しすぎなのか、頑固すぎなのか、どちらが行き過ぎだったのか、はたまたそれを助長しあう相性だったのかは、第三者からはわからない。)
確かに叔母は、あの発言通り、叔父よりも長く生きることになったが、叔父の亡くなった時にはすでに、夫のことすらわからないほどの認知症になっていた。願いはかなえども、果たしてその意味があったのだろうか?人生の皮肉を感じてしまう。
と、本日は、周りの思惑が心や頭の中でぐるぐるしてしまったので、書いておくことにした。
好みで納豆も入れると、海苔と引き立てあっておいしいが、分量的に少し多めになる感じもある。
先週になるが、義母が椅子から転倒し、立てなくなって緊急搬送された結果、左の大腿頸部骨折を起こしているということで、週明け後に関節手術(人工骨頭置換術)を行うことになった。
80歳台後半ということもあって、足元も最近おぼつかなくなり、回りも心配していた矢先の出来事であったようである。
義母にSMSを送ると返信をくれて、現在痛いのと動けないのとで大変だそうであったが、手術がうまくいくと良いと思う。
思えば、大腿骨の人工関節手術は、亡くなった自分の祖母と、叔母、友人の母(心臓病のため手術できなかった)とにあった話であり、少なくない話だと思われる。
が、たまたまなのかはわからないが、股関節が病変したり、骨折した自分の親戚知人は、みんなある程度の時間を置いた後に認知症になってしまったので、股関節と認知症は、関連性があるのかどうかとふと疑問に思ったが、よくわからない。