インスタは、アカウントは持っているものの、どちらかというと自分発表の場というのか、写真をとってみんなに見てほしいー、という感じで使うというイメージが大きいため、気になるインフルエンサーなどのフォローはするものの(それでもあまり見ていない)、ほとんど自分用としては使っていなかった。
年賀状の場合だと、1行、2行の文言が思いつけばいい方だと思う。また会いましょう、だの今年は何々を始めようだとか、家族の誰々は、何々にはまっています、などのまあ、どうでもいい話題というのか。 結局、毎年毎年、年賀状用の自作のフォーマットに、この写真を載せようかときめたらそこだけ替え、決められた文面と自分の住所はそのまま使い、ほとんど作業化してしまっている。
文字を書く機会も、PCやネット文化のため昔よりも減り、キーボード入力が主流となってしまっているので、久しぶりにきれいに宛名を書こうとすると、これがなかなか面倒なうえにゆがんでしまったりする。
宛名ソフトを利用した時期もあったが、住所変更だの、喪中で出したらいけないなどのちょっとした留意点もあるが、思わぬ副作用があった。出状しているのに書いた気が全くしなくなってしまったことと、年賀状へのやる気がものすごく下がってしまったことがあった。活字で出力された宛名を見ていると、1行2行の文言すらも書く気が失せてしまうという、機械的にしたことへの副作用だった。このあたりから、年賀状への自分の変化を感じ始めた。
それでも、写真付き年賀はがきなら、みんなの写真がついていると、状況がわかって良かったのだが、個人的には元々自分の写真を載せる興味があまりなく、考えすぎかもしれないが、昨今の個人情報に関する問題だのネットによる写真流出だの悪質な加工だのと、問題が複雑化してきて、ますますやる気がなくなってしまったため、出かけたところの写真などを無難に載せたりしている。
もともと年賀状は、インターネットがなかった時代は一大イベントで、それをしないとそれっきりになってしまうパターンが多すぎたため、大事なコミュニケーションツールだったのだ。ご年配の方の場合は、インターネットをする・しない人と分かれると思うので、まだまだ年賀状が音信を伝える手段となる場合もありそうである。
年賀状をやめます、という人がちらほら出てきて、ご高齢の方以外にも3名、合計4名の人が、年賀状卒業のことが年賀状に書いてあった。郵便料金の値上がりも近年大きく、高くなったなあという印象であり、今後も郵便控えは増えそうである。
ひとまずは、年賀状にはインスタで写真を載せることにしてアカウント名を伝え、今後は年賀状とインスタを同時並行しながら続けていきたいと思う。喪中はがきのこともあるし、やはり安否確認の手段としても、年賀はがきも一定の必要性があるような気がする。