2025年8月14日木曜日

デジタルお盆飾り

 風流なものだけれども、現在の自宅には仏壇もなく、飾る場所をとったり、出したりしまったり捨てたりするのはなかなか大変であり、ネット上に飾ってみた。



ゆがみのあるAI画像を楽しむ(8月)

 何かが変。そこがこれらの味わいどころとなっている、と思う。






この下のものはさらにゆがみが大きいので、ゆがみ画像ファンとしては見ごたえがある。




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2025年8月5日火曜日

コバエ対策は、おおむね順調

 1.排水口ぬめり取り(ダイソー商品可)を風呂場の全排水口に設置し、浴室を出るときに、ぬめり取り自体にシャワーをさっとかけ、溶液が下に溶け出るようにする。(念のために洗面所・台所の排水口にも同じ措置)

2.ハエ取りリボンの設置(部屋の隅に置いているが、なぜかエアコン前のリボンが一番良くとれる不思議)

3.ハエは生ごみをねらい、意外に短期間で増えるので、生ごみは小さなビニールに入れるようにして、こまめに結んで次の袋を使う。


ということをしているが、今年は室内を飛び回るコバエの姿がほとんどなく、対策がうまくいっているようである。2番もリボンが良い仕事をしていてとても有効だが、特に、1番の排水口対策が功を奏している感じがする。

(関連記事:https://inakatokyo.blogspot.com/2025/06/blog-post_15.html




バースデー (桜新町)




 


2025年8月4日月曜日

夏の教室の思い出

 



昔中学生だったころの思い出である。社会科の先生で担任?でもあったような記憶のO立先生の話である。なぜか時折記憶がよみがえり、暑い夏時の話なので書くことにした。

もちろんその時代、教室にはエアコンなどもなく、冬にストーブが搬入されただけで、夏にしてもそこまでつらい季節ではなかったころの話。

O立先生は暑い時期になると、持参したタオルでもって、顔をふく、ところまではいいのだが、そのタオルで顔をふいたり教壇の自分の机を拭いたり、どちらも交互に拭いていた記憶なのである。教壇机は、ほかの先生も使っていて、いろんな人の指紋やら汚れなどもついていそうだし、黒板のチョークの粉なども飛んでいそうである。そんなイメージの机なので、マイタオルで拭きまくって自分の顔も拭く、というのはどうしても汚いなあ、と思いながら見ていたのであった。温和な雰囲気の恰幅の良い先生で、他に特に欠点は見当たらなかったのだが、唯一そこがなんだかとても気になってしまったのであった。

周囲の子は誰もそれを話題にしなかったが、気づかなかったのか、なんとも思わなかったのかまではわからない。



2025年7月29日火曜日

災害級の暑さ

 連日の酷暑で、ニュースでは連日危険な暑さ、熱中症搬送や死亡者のことが伝えられている。実際の温度に大体5度を足したものが、体感温度であり、現在周辺の気温は36度なので、体感気温は41度である。何かしら対策をしないまま外にしばらくいた場合、おそらく無事ではいられないと思われる。

冷房と扇風機の併用で、エアコン代が節約できるというネット動画もいくつかあるようなで、手持ちのミニファンを置いてみた。たしかに、外出から戻ってきたとき以外には、エアコン温度を大きく下げたりすることは減ったような気がする。


居間用

寝室兼・通路用

寝室用(買い足し予定)

エアコンは、AI搭載のものが近年出てきているのだろうか、その場合は完全に自動運転モードにしたほうがエアコン代は抑えられるようなのだが、自宅のものはそこまで新型ではなく、風量自動モードまでが精いっぱいなので、そこまで設定した。ファンを回すとたしかに、涼しい風が体にあたっても涼しいし、外気の高熱のせいで、これまで床の場所によっては熱さを感じていたところも、おおむね解消できた。


日中でもビルの陰などができる道は、そこそこの高温化で止まるようなのだが、ビル陰や住宅地の陰などがない道は、夕方になって日が落ちるまで熱し続けてしまうため、ひたすら温度があがる。暗くなってもそれまで蓄えられた熱で、車道も歩道も高熱床暖房的なヒーターと化すのでとても暑い。(一説によると、政府が高度経済成長期時代に、後先考えずに効率ばかりを追求してアスファルト道路建設を乱発して、こうなってしまったということ) 


影のできない道は「あつみち(暑い道)」と勝手に命名してディスっている。昨日はあつみち(暑道)を歩いてとてもバテてしまい、食べたいものもそうめん限定になってしまった。たまたまスーパーでこちらのだしつゆを見つけたので、手持ちのトマトと生ハムと合わせ、使用してみた。さっぱりとしたいい感じのつゆ入りそうめんができた。




2025年7月22日火曜日

叔母が入居中のホームに訪問しました。

 




数年前から認知症にかかっている叔母が入居しているホームに、家族・親族で訪問した。

母・兄・私・娘・叔母の次男R君(従弟)と奥さんとで訪問した。叔母と最後にあったのはおととしの叔父の葬儀の時だったが、その時もすでに叔父のこともわからずきょとん、としていた。去年くらいからR君の顔を見ても誰だかわからない様子となり、最近は言葉も発することもなく、ボーッとしていることが増えているということだった。

が、母や私の顔を見て何か思い出すのか、歌でも歌いだすかのような口調で、「~~~が、~~~でね、」と意味不明な言葉を発し始めた。母と叔母が昔若かったころに、夏に浜町音頭を踊った時に叔母が大変上手で、スターみたいだったのよ、などという思い出話を母が懸命に話しかけた。私にとってはどうでも良い話だったが、叔母に何かが伝わったかもよくわからない。あとから浜町音頭のメロディを兄がスマホで流したが、三味線と歌声が主旋律で時折、笛・太鼓が入るBGMで、しぶい、という以外にない音楽であった。

叔母が発する意味をなさない言葉に耳を貸してあげているうちに、言葉の発し方は頻繁になり、脳の活性化にはつながったのかもしれないと思った。私の顔をみて、「・・・(意味不明)、しなさいねええ・・。・・・、・・・。(意味不明)」姪に何かを言い含めたいという感情だけが残っている言葉、としか思えなかった。

そして、兄が去年生まれた孫の動画をスマホで見せてあげたところ、やはりおばあさん世代は赤ちゃんが大好きなようで、ニッコリと笑って、「いいこねええ、、いいこねええ」と動画に向かって話しかけていた。

母がこれを叔母に見せたい、と持参した昔の古い写真も見せたが、叔母はそれを見て理解した様子は一切なかった。写真を見た私を含めた周りの家族が、「あっ、これ誰々だよね。」などと言って楽しむきっかけにはなったが。

そして最後の方では、車いすに座る母をそばに寄せると、母の手を、自分からとって手をつないだので、誰だかわからなくてもなつかしさのようなものは感じるのかもしれないと思った。何かを正しくやったり順序立てるということは永久に不可能になっても、感情だけが残る感じである。

忙しい日程の中だったので、次に集まる予定はいつになるかわからないが、まずまずな感じの訪問はできたかもしれない。