2025年1月6日月曜日

趣味のレジン

 

シャカシャカレジンシェイカー?という名称らしきシリコンモールドを、手芸屋さんで購入し、お気に入りのビーズを入れてみた。内包物がはみでてしまった。

これがなかなか作るのが難しい。

1.まずは、色を付けようとすると、型に流し込んだレジンと垂らした着色料を混ぜるために、細い隙間もいちいち混ぜ棒代わりの楊枝をつっこみ、ぐるぐると中のレジンをかきこまないと色が混ざらない。

2.色を混ぜているうちに、気泡がいっぱい入ってしまい、表面がつぶつぶになってしまった。

3.蓋をする専用のシート(別売り)を枠に合わせてカットし、レジンを付けて硬化するのだが、本体にレジンを付けるときれいに仕上がりやすいが、隙間があきやすく、封入したビーズがこぼれだしやすい。が、シートを置いてからふさごうとすると、周りがデコボコになるため、きれいに仕上がらない。(実践しなかったのは、シート自体の周りにレジンを付けて硬化する方法だが、やはり隙間ができやすそうな気もする)

4.一度目の硬化で、表側が縮んでしまうので、すぐさま裏側にもUVを当てないと、形がひしゃげやすい。

などなど、いろいろな試行錯誤での第一作目が右上のものだが、いびつでレジンもはみ出た感じとなった。個人的には気に入っているが、例えばcreemaなどで作品を売るというレベルには足りていないし、量産するのも面倒である。

(昔の記憶)凧揚げ(たこあげ)

 

遠い昔だが凧は、竹ひごを使ったものを父が作ってくれていた記憶がある。

竹ひごで作った凧であったが、これがなかなか飛びづらいという記憶であった。

凧を飛ばした記憶というのは、幼稚園~小学校低学年の一時期、広島県に住んでいたのだが、父の会社の社宅に住んでおり、近所に何もない野原がぽつんぽつんとあった。坂の多い地形で、野原からの景色もひらけていた。父が竹ひごを組んで凧を作り?、それを兄が持って、その野原で引っ張ったのである。

が、私しか覚えていないかもしれないが、せっかく風に乗って大きく上がっていた凧を、兄が放してしまったのである。それも、意図的というのか、父が言った言葉をカン違いして、「放して」と聞こえたとかで、手から放してしまったと後から言っていたことである。

なんで「放して」っていうのかなあ、と思いながら放したそうである。手を離した凧は、そのまま風に乗ってどこかに行ってしまった。想像すればそうなることはわかりきっていたのだが、聞こえたままに実行に移してしまった兄は、とても素直な子どもというのか、思考力停止?(子供だから仕方がないというのもあるのだろうか)でそのまま凧を手放してしまったのであった。

それきり、凧の消息は分からずじまいだったような、そんな思い出が残っている。

2025年1月4日土曜日

ファミリーランチ(1/2)

 



母が車いすのため、兄が「バリアフリー」でレストランを探したそうだったのだが、なかなかそういう検索方法だと見つからなかったようである。ファミレス系が一番難なく入れそうであった。


2024年12月29日日曜日

「テレンス・コンラン モダンブリテンをデザインする」展をみてきました。(東京ステーションギャラリー)

 

お茶目な表情で、素敵なお兄さんが振り向きながら微笑む写真。若き日のコンランだろうか。が、実際に展示にでてくるコンランは、渋声で話すおじいさんであった。

純粋な美術・芸術作品というくくりではなく、インテリアを美しく作り上げていく、インテリアデザイナーとしてのコンランの作品展であったと思う。

1960年代のモダンアート風かなと思ってみてみると、1950年代前半のころから、これらモダンテイストのインテリアを世に出していたようであった。


洗練されたものばかりで、現代の日本でも十分おしゃれなものとして受け入れられそうである。1950年代初期の日本は、おそらく敗戦後でそれどころではなかったと思われるが、イギリスなどの裕福な国ではすでに、このようなものが生み出されていたようである。

家具作成時に木を削る香りは素晴らしいとコンランは述べているが、木の素材は人体にもやさしく、自然のぬくもりを感じさせてくれるものである。

コンランがトップを務めていたコンラン&パートナーズ、というところが、(他にもあるかもしれないが)赤坂アークヒルズや六本木ヒルズ、二子玉川の再開発にも大きくかかわっていたことや、日本国内にもいくつか「コンランショップ」というものがある、ということである。

ななめ読みしかしていないが、コンラン概要まとめらしきものがあったので、載せておく。

https://www.artpr.jp/tsg/conran2425


2024年12月24日火曜日

ハンドベル・クワイアコンサートを観てきました

 

今年初めて、ハンドベルのコンサートに行ってみた。

ハンドベルの音は、とても上品でマイルドな音色で、耳にやさしいものだった。

私としてはもう少し、カーン!コーン!と、ハッキリとしたパンチのある感じの音が好きなのだが、どうもこもった感のある音が物足りず、聞いているといい感じで眠気を誘ってしまう感じであった。同行の娘は逆に、とても音色が好きで気に入ったようで、また来年も行きたいようなことを言っていたが。

2024年12月22日日曜日

インスタでとれたコミュニケーション

 

画像は、イメージです。


BちゃんにDMを送り、挨拶をした。電話でお話をすることになった。年賀状ではチャットができないために相手の反応がわからず、会話もできないので、ネットによりリアルタイムに近い感じでチャットができて便利である。

で、共通の友人だった美紀ちゃんのことにもふれ、電話で話した。もちろんそれぞれの母親同士も交流していて(美紀ちゃんのところは関西なので、主に年賀状だったが)、たまたまBちゃんがお母さんと今年の初めごろに三重に旅行に出かけた後、せっかく近くに出てきたので美紀ちゃんのお墓参りだけでも、ということで連絡をしたところ、美紀ちゃんのご実家に招かれたということだった。

美紀ちゃんはもういなかったが、お父さんお母さんは元気にしていたということ。結局世間話や思い出話や家族の話中心で、美紀ちゃんがどうして亡くなったかなどの細かいことは一切話されなかったので、そのまま帰ってきた、ということだった。

Bちゃんは、美紀ちゃんは、地方局のあまり知られていない無名アナウンサーだとばかり思っていたが、ネットニュースでもさんざん取り上げられるほどの、関西では有名なアナウンサーだったんだねー、やっと気が付いた、などと言ったのんきな調子で話していた。たしかに関東ではほとんどTVに出てこないので、こちらではあまり顔は知られていないかもしれない。

その他、家族の話、どうでもいい世間話などで談笑して、電話を終えた。

今のところインスタに期待できることは、チャットができて、そこから年賀状以上のコミュニケーションがとれそうだということである。

インスタなどのSNSや年賀状というのは

 インスタは、アカウントは持っているものの、どちらかというと自分発表の場というのか、写真をとってみんなに見てほしいー、という感じで使うというイメージが大きいため、気になるインフルエンサーなどのフォローはするものの(それでもあまり見ていない)、ほとんど自分用としては使っていなかった。



 年賀状の場合だと、1行、2行の文言が思いつけばいい方だと思う。また会いましょう、だの今年は何々を始めようだとか、家族の誰々は、何々にはまっています、などのまあ、どうでもいい話題というのか。 結局、毎年毎年、年賀状用の自作のフォーマットに、この写真を載せようかときめたらそこだけ替え、決められた文面と自分の住所はそのまま使い、ほとんど作業化してしまっている。

文字を書く機会も、PCやネット文化のため昔よりも減り、キーボード入力が主流となってしまっているので、久しぶりにきれいに宛名を書こうとすると、これがなかなか面倒なうえにゆがんでしまったりする。

宛名ソフトを利用した時期もあったが、住所変更だの、喪中で出したらいけないなどのちょっとした留意点もあるが、思わぬ副作用があった。出状しているのに書いた気が全くしなくなってしまったことと、年賀状へのやる気がものすごく下がってしまったことがあった。活字で出力された宛名を見ていると、1行2行の文言すらも書く気が失せてしまうという、機械的にしたことへの副作用だった。このあたりから、年賀状への自分の変化を感じ始めた。

それでも、写真付き年賀はがきなら、みんなの写真がついていると、状況がわかって良かったのだが、個人的には元々自分の写真を載せる興味があまりなく、考えすぎかもしれないが、昨今の個人情報に関する問題だのネットによる写真流出だの悪質な加工だのと、問題が複雑化してきて、ますますやる気がなくなってしまったため、出かけたところの写真などを無難に載せたりしている。

もともと年賀状は、インターネットがなかった時代は一大イベントで、それをしないとそれっきりになってしまうパターンが多すぎたため、大事なコミュニケーションツールだったのだ。ご年配の方の場合は、インターネットをする・しない人と分かれると思うので、まだまだ年賀状が音信を伝える手段となる場合もありそうである。


年賀状をやめます、という人がちらほら出てきて、ご高齢の方以外にも3名、合計4名の人が、年賀状卒業のことが年賀状に書いてあった。郵便料金の値上がりも近年大きく、高くなったなあという印象であり、今後も郵便控えは増えそうである。

ひとまずは、年賀状にはインスタで写真を載せることにしてアカウント名を伝え、今後は年賀状とインスタを同時並行しながら続けていきたいと思う。喪中はがきのこともあるし、やはり安否確認の手段としても、年賀はがきも一定の必要性があるような気がする。