2019年4月25日木曜日

今日も書きます

母はほぼ間違いなく発達障碍者であるが、そのことに触れないと、非常に変わった人、という印象を常に与え続けてくる。

本人はいたって大真面目で、自分は普通の人とはちょっと違う、程度にはうすうす気づいているようだが、とても変である、ということまでは気づいていない。そんな母の言動を少しづつ記録する。

・電子レンジの中のものが、加熱中に、「ボン!」とか「ポン!」と言い出したら、爆発であり、それ以上は加熱するべきではないのだが、母は自分のものについてはつけっ放し。止めようとしないため、ずっとレンジの中が「ボン!」「ポン!」と鳴り続けている。中身が飛び散らなければ本人だけの問題なので構わないが、ずっと聞いていると、何で止めないのか、本人に確認したくなってくる・・。

(画像はイメージです)

・私にネット通販での注文を頼むときに、パーキンソンのため体が動きにくく、買い物に行かれない、というのをやたらと強調するが、なにか罪悪感でもあるのだろうか。まったく無頓着なものには無頓着なのに、人と違うところでやたらとこだわりがあるようだ。

 そして、薄手の靴下がほしい、薄手がいい、とやたらと「薄手」にこだわった。こちらが画面でさがし、ある商品を開くと、「それって薄手?厚手?どっちって書いてあるの?」とすかさず聞いてくる。
 いや、書いてませんから。ふつうそういうのは、売ってても書いてないの。毎回そういうのを理解できず、自分視点での質問ばかりする。

どうも一つ一つ感覚が違い、おかしな感じである。

2019年4月21日日曜日

後輩の追悼会が行われました

 昔、初めての社会経験で、初の新入社員として3人同期で新卒で配属されたところは、人数は多かったものの、ベテランの女子行員(平均・10~30歳年上の大先輩多数で、怖い人も多かった。)と、年配(若くても40台前半~50代)の既婚おじさまたちばかりの部署で、最初は戸惑うばかりであった。若い男性社員は皆無で、社内恋愛や社内結婚などもありえない部署であった。
 お嬢さん、などと冷やかされ、一挙手一投足に注目されるなどし、こちらは気安く話せるような年の近い人もあまりいないため、3人でばかり固まっていた。挙句には「三羽ガラス」などとおじさまたちに呼ばれる始末であった。

 なんでこんなところに配属されてしまったの?という不満をかかえつつ、1年、2年と経つうちに、毎年のように後輩が入ってきた。(新入社員配属は、子会社の社員を受け入れだしたために3~4年ほどで打ち切られたが)
 業務移管のため、私たちの入社から数年後に若い子からベテラン、いろんな転入者が新設の課に入ってきたが、気のいい人ばかりだったために和やかな明るい雰囲気となった。良い感じになったと思っていたころに私は転属になり、本社に異動したのだが、転勤先よりももとの部署のほうが、断然居心地が良いことに気が付いた。
 

 話を戻し、3年目で部内移動したときに、そこでの業務を、以前の記事で書いた、亡くなった後輩と一緒に行ったのであった。二つ後輩で体も小柄で、顔もかわいい美人さんだが少しもキャピキャピしたところがなく、むしろしっかりと落ち着き、仕事もきちんとできる後輩だった。仕事上は先輩のため、教わることが多く頼ってばかりだった。会社の行事や旅行での写真が、思い出とともに残っている。

 その子が昨年亡くなり、一つ下の後輩で、人脈形成がすごく上手で手際のよい人がいたので、ほかの人たちとのパイプ役としてお願いしたく、声をかけた。その後輩本人は知らなかったということだったので、いい情報をあげられたと思って話をしたら、幹事をしてくれると言ってくれて、当時の同じ部署の皆に声をかけてくれた。

 15人ほど集まり、目黒駅前のビル内の店で追悼集会を行うことができ、かなり長期間会っていなかった人にも会えた。来年も4月に集まれたら、という話になった。

 退職者のほうが多分多いが、そのまま辞めずに現役で残っている人、一度退職した後に、派遣や嘱託として戻った人もおり、話していると、まじめに、本当に一生懸命働いているなあというのがひしひしと伝わってくる。

 会社の合併を二度おこなっているが、二度目の合併により社風ががらりと変わってしまったらしい。のびのびした自由な雰囲気が消え、これだけの時間内にこの分量をこなせないのはおかしい、などのあからさまな制約や、社内標語などの唱和を義務化されるなど、締め付けが増えたり、残業がとてつもなく増えた上に賃金が大幅カットされたらしく、労働環境がかなり悪化したらしい。聞いていてちょっとショックだった。

 何も知らない自分は、おそらく、一番良いころに会社を辞め、いい思い出だけ作れたのだと思う。元の部署も子会社化や人事異動・合併による人員の混在がすすみ、場所も合併先の会社の社屋など、ほうぼうへ分散し、すでに誰も残っていない。
 あの頃は皆が仲良しでまとまっていたなあと、だれもが口にして言っていた。自分の入社時点では暗黒時代だと思っていたが、気づかないうちに後輩や新しい人も増え、だんだん良い輪が出来上がっていたのかもしれない。
 

2019年4月18日木曜日

親に挨拶の仕方を教える

親は言動が変わっているが、自分を客観視することがほとんどない。こちらこそ本来は親に向かってああしろこうしろ言いたくないのだが、仕方なく指導を行ってしまう。


 毎晩のように、「あたし寝るからね!」と一見威張った感じとも受け取れる感じで言うのだが、おそらく本人にはそんなつもりはないのである。が、言葉通りにうけとるなら、わかったけど、だからなんなの。そんなに言いつけなくても普通に寝ればいいじゃん、というのが自然な感覚である。

 子供時代、親が自営業のためにお手伝いさんにばかり相手をされて育ったなどの環境があったらしいが、子供時代の環境ばかりにしているのは今更な気もする。
 本人の姿勢は、人に語り掛けるのではなく、ほとんどを自己アピールという形で自己主張することで、人とのコミュニケーションを取ろうとする。なんやらおかしいのである。そしてそういった面をことごとく指摘するも、一向に自分から理解したり気づく、という気配が皆無である。

 「寝るからね!と言われて、だから何?ってこっちは思っちゃうよ。そうじゃないでしょ。『おやすみなさい』でしょ。今度からそう言ってね」何で挨拶の仕方を自分の親に仕込まないといけないのだろうと、客観的にみられるととても情けないが、明らかに言い方がおかしいからである。

 本当に対人関係の歩み寄りが、変わった親である。

編み物続けています


今回の提出物は、「白い巾着袋」。

 数段ごとに編み方が異なり、ガーター編み・メリヤス編み・なわ編み・すかし編み・たま編み・裏メリヤス編みを行った。
 テキストや動画を見ながら四苦八苦して作り、途中まで編み方違いに気づかないこと数度。何度もほどいて編みなおし、どうやら最後まで行きついた。

 添削課題で作っているため、使用目的がない。ふわふわと良い手触りなのがいい、としか言いようがない。
 網目模様の美しさと、白いメリノウールのふんわり感が良いのとでモチベーションを保って作ったが、本当に作って使いたいのはニットセーターである。

2019年4月9日火曜日

親とのやりとりの面倒くささ

 新聞は、私は全く利用していないので、母が自分でとり、集金を支払ったり、読み終えたものを回収に出したりしている。回収に出すときにはやや重さがあるが、母のリハビリのためにも、できる範囲でそういったことはやってもらうことにしている。

画像は、イメージです

 「あのさ、新聞の回収、玄関の外階段のところに置いたからね。」というので、ウンとは返事をしたものの、「いやだからなに?」という素朴な疑問がわいてくる。

 置いたから、何?? 聞いたところ、新聞屋がもっていかないのは困るから、夕方になってもそこに置いてあったら困る、ということであった。
 いや、そうだとしても何?それは回収する側の責任であって。
私は何か気を付けないとだめなの?やらないといけないことってあるの?

 どうやら親としての気配りもあっての言動(到底、そうは見えないが)らしいが、それならそれで、私が言われて助かることはというと、何もない。回収に来なければ、親が新聞屋に電話しないといけないだけである。

 それは単に、私に対するアピールだよね?アピールされたからといって、こっちは何もできないし、単なるノイズに過ぎないよ。それって、「xxできたよー」と、親にアピールする子供と次元はかわらないよ?と言い返してやった。いやでも同居を続けていくと、こちらもだんだん言いたい放題にならざるを得ない。

 そもそも、大事なことのように言うことのほとんどが、どうでもいいことだから、肝心の話を聞くエネルギーが削がれちゃって、大事な話のほうが、いつもどうでもよくなっちゃうんだよね。ばあばの話はほとんどがノイズでできてるの。
 で、お父さんお母さんに子供がアピールするのと、話の内容は変わらないから。自分の子供だったらね、こちらもちゃんと話は聞いてあげるけど。

 そう言うと、気持ちの本質はそうでもないらしく口ごもるので、じゃあ、そんなに回収されないことが不安で不安でしょうがないわけ?と聞いたら、どうやらそっちのようであった。なんでそんなに不安が強いの?面倒くさい。と言ったら、年寄りとはそういうものなのだと。少しはそうかもしれない。ほかにもそういった傾向の人はいると思う。

 ああめんどくさい。そんなにいやならやめちまえ!という訳にもいかず、母の好きで購読している新聞なのだから、自分でできるのなら、後始末までやらないと余計に老化がすすんで良くない。

 気持ちを共有してほしいのはわかるが、人それぞれ考え方が違うもの。元来、こちらから見ていると、どうでもいいことにいちいちこだわる親と自分は、本当に親子だという以外にあまり共通部分が少ないと感じる。発達障害のあるなしで、程度が変わるのかはわからないが、どうやら、私が子供だった時からこの親は、「自分の考え方に協調してくれる味方」が欲しかったのである。そして、その格好の相手が私であったと。

 が、私自身、成人して社会人になり、20歳代後半位から客観的に親を見るようになり、ずいぶんと気持ちが冷めてしまったのである。途中、生きづらさを感じた結果、精神的に人を頼るのにも限界があって、自立して自発的にしていったほうがはるかにいいと思い、そう思えば思うほど、過去の自分の考え方や選択を否定してしまうこともあるし、母の考え方との距離がどんどん開いていってしまった。

 家庭の事情で久しぶりの実家での同居となったが、そこへもってきて、日々日常での感じ方を共有せよ、というのは無理難題である。
それでも決裂したり険悪にならないのは、お互いの良心や、妥協、といった大人の対応に大きくゆだねられている。

2019年4月5日金曜日

お花見 4/5

目黒区・柿の木坂遊歩道の桜並木をみてきました。








2019年4月3日水曜日

お花見 4/2

小石川後楽園外の脇道。園内には残念ながら、入園時間をすぎたために入れなかった。