2019年4月21日日曜日

後輩の追悼会が行われました

 昔、初めての社会経験で、初の新入社員として3人同期で新卒で配属されたところは、人数は多かったものの、ベテランの女子行員(平均・10~30歳年上の大先輩多数で、怖い人も多かった。)と、年配(若くても40台前半~50代)の既婚おじさまたちばかりの部署で、最初は戸惑うばかりであった。若い男性社員は皆無で、社内恋愛や社内結婚などもありえない部署であった。
 お嬢さん、などと冷やかされ、一挙手一投足に注目されるなどし、こちらは気安く話せるような年の近い人もあまりいないため、3人でばかり固まっていた。挙句には「三羽ガラス」などとおじさまたちに呼ばれる始末であった。

 なんでこんなところに配属されてしまったの?という不満をかかえつつ、1年、2年と経つうちに、毎年のように後輩が入ってきた。(新入社員配属は、子会社の社員を受け入れだしたために3~4年ほどで打ち切られたが)
 業務移管のため、私たちの入社から数年後に若い子からベテラン、いろんな転入者が新設の課に入ってきたが、気のいい人ばかりだったために和やかな明るい雰囲気となった。良い感じになったと思っていたころに私は転属になり、本社に異動したのだが、転勤先よりももとの部署のほうが、断然居心地が良いことに気が付いた。
 

 話を戻し、3年目で部内移動したときに、そこでの業務を、以前の記事で書いた、亡くなった後輩と一緒に行ったのであった。二つ後輩で体も小柄で、顔もかわいい美人さんだが少しもキャピキャピしたところがなく、むしろしっかりと落ち着き、仕事もきちんとできる後輩だった。仕事上は先輩のため、教わることが多く頼ってばかりだった。会社の行事や旅行での写真が、思い出とともに残っている。

 その子が昨年亡くなり、一つ下の後輩で、人脈形成がすごく上手で手際のよい人がいたので、ほかの人たちとのパイプ役としてお願いしたく、声をかけた。その後輩本人は知らなかったということだったので、いい情報をあげられたと思って話をしたら、幹事をしてくれると言ってくれて、当時の同じ部署の皆に声をかけてくれた。

 15人ほど集まり、目黒駅前のビル内の店で追悼集会を行うことができ、かなり長期間会っていなかった人にも会えた。来年も4月に集まれたら、という話になった。

 退職者のほうが多分多いが、そのまま辞めずに現役で残っている人、一度退職した後に、派遣や嘱託として戻った人もおり、話していると、まじめに、本当に一生懸命働いているなあというのがひしひしと伝わってくる。

 会社の合併を二度おこなっているが、二度目の合併により社風ががらりと変わってしまったらしい。のびのびした自由な雰囲気が消え、これだけの時間内にこの分量をこなせないのはおかしい、などのあからさまな制約や、社内標語などの唱和を義務化されるなど、締め付けが増えたり、残業がとてつもなく増えた上に賃金が大幅カットされたらしく、労働環境がかなり悪化したらしい。聞いていてちょっとショックだった。

 何も知らない自分は、おそらく、一番良いころに会社を辞め、いい思い出だけ作れたのだと思う。元の部署も子会社化や人事異動・合併による人員の混在がすすみ、場所も合併先の会社の社屋など、ほうぼうへ分散し、すでに誰も残っていない。
 あの頃は皆が仲良しでまとまっていたなあと、だれもが口にして言っていた。自分の入社時点では暗黒時代だと思っていたが、気づかないうちに後輩や新しい人も増え、だんだん良い輪が出来上がっていたのかもしれない。