2018年10月20日土曜日

首都高下の大通りから電話

 8月下旬の停電浸水の被害を共済保険に提出後、調査員の方が家に来たので、水位の痕を見せるなどの案内をした。

 玄関からつっかけを履いて車庫のほうに出ていたところ、デイサービスに出かける母が何も考えずに玄関のカギをかけていつのまにか出て行ってしまった。家の構造上、シャッターさえ開いていれば、車庫のほうからも家に入れるので大丈夫だったのだが、帰ってきてからその話を母にした。「玄関入れなくなってたからちょっとヒヤッとしたよ。まあ反対から入れたからいいんだけどね・・。」「あらそう。玄関から出たの?」

 母:「そういえば、そんなことが前にあったわね。・・・」何をやらかしたのかは知らないが、おおよそ今回のようなことが起きて?家に入れなくなった母が、比較的近くに住む兄の家に、携帯で電話をかけたそうである。
 そのかけた場所が首都高速の下を走る、大通り沿いからだったそうだ。うるさくて騒音がひどいに決まっている。

家の近所ではないが、首都高の写真を貼っておきます


 ところが母の言い分は、「携帯って、頼りにならないわ。本当に話しにくい。」と、通話の良く聞こえないことに文句を言っているようなのだが、普通はそこで、「どうしてじゃあ少しわき道に入れば住宅街なのだから、そこから通話しないの?」という素朴な疑問がわく。(家に入るカギを持っていなくて携帯を持っていた、というシチュエーションも大変不思議なのだが。)

 母が「ヘンである」というゆえんはそういう随所随所から現れる。「本当にもう、いやになったわ。」通話できないことへの自分の気持ちばかり熱くなり、していることのちぐはぐさに気が付かないのもとても近視眼的だし、「ヘンだなあ」と思わせるところである。