予約のタイミングが遅く、満席でとれなかったのもあり、フレンチを後の日付で予約して行ってきた。(桜新町)
カキのババロアと、甘エビのマリネ(後部にあり)。非常においしい。 |
きのことタコとイカのスープ。こしょうがきいている。 |
白身魚のフライ。 |
ざぶとん肉のステーキ、トリュフのせ |
レンズ豆を使ったあんの、どら焼き。グレーのアイスクリームは、竹炭のアイスクリームとのこと。 |
母の入居ホームにほど近い、小さな教会のクリスマスイベントがあり、母の車いすを押して娘と3人で、キャンドルサービスに出席してきた。
キリスト様が人の原罪を背負って生まれ、磔の刑で一度は死ぬけれども、やがて復活して、世の中の多くのことに影響を与え続けているという話を聞いてから、讃美歌斉唱。
受精卵からしか子供は生まれないという科学的な知識こそ世の中の常識であるのに、マリアさまはなぜ、神からイエスを受胎したのかという謎。科学と物語(伝説)との食い違いをどうしたらいいのか。それをはっきり示せるものがないため、真面目に考えても全く答えがわからない。
さておき、帰りにチキン骨付きの照り焼きと、ケーキを買って帰り、少しクリスマスらしくした。
KEYUCAのケーキ。おひとり様用?800円の大きめケーキを真ん中から二つに割って娘と食べた。 |
上野毛に所用で立ち寄った時、帰り道にたまたま通りかかったぶどう園で、ささやかなイルミネーション展示が早稲田大学のゼミの学生さんたちの主催で執り行われていた(入場無料)。きれいだったので入場してみてきた。
入場客は、若い人やお子さんの割合も比較的多かったと思う。出口のところで、どの作品が良かったかの投票を行うようであった。
主催ツイッターもあるようである。
https://twitter.com/uzuki_setagaya
メガドンキホーテで購入。タイのトロピカルフルーツだということ。 |
面白半分で買ってみて食べたところ、イチジクとかプラム、アプリコット系の食感・味というのか。わあ、おいしいおいしい、といって食べるものではないが、程よい甘酸っぱさなので、食卓に一つあっても良いかな?くらいの感じだった。
外の殻は、手で簡単に割れるのでむくと、ちょっとグロテスクな感じであるが、茶色い中身が出てくる。写真右側の筋を外して真ん中の身を取り出して食べられる。ねっとりとした実の中に種が入っているので、食べながら吐き出す。 |
杖を突いて歩くが、立ち上がりも歩みもなかなか進まず、従弟夫婦が両側を支えるようにして歩いている。 |
おととし、股関節を人工関節に置換する手術を受け、そのあとゆっくりだが歩いていたのを見ていたのだが、先日会った時にはもっと動きが緩慢になり、重くなっていた。
叔母は、認知症の高齢者を受け入れている施設に入所しているが、その施設内の話なのだろうか。「早く食べなさい!」「ちゃんとやりなさい!」「さっさとどきなさい!」ってどなるのよ、とさんざん話していた。
そして、次には、「あたしはね、もう、今年で終わりなの。やめるからね。」ばかり言う。つまり施設を退所したいということか。その話ばかりするので、性格のきついスタッフさんにつらく当たられている、もしくはそれを目撃しているのだろうかと、心配になってくる。皆で従弟に、施設のほうに確認する必要があるね、と話していた。
叔母自身、服用する薬を最近変えたそうだが、変える前はもっと攻撃的になってしまって色々なことに反抗的になり、「もうここを出るんだ!」的な怒りを含んだ態度をとっていたそうだった。もしかするとそちらのほうが叔母の本心がうかがえたのかもしれないが、施設から引き取って世話することはおそらく誰にもできない。薬を変えて、興奮しないようにした、という感じだろうか。
かわいそうだが、施設をでて自由になりたい、というのが本音だと思われる。母にしても本当はそうなのだが、核家族化の現代、一人で抱え込めるほど介護は楽ではない。
介護の現場も、人手は足りないし薄給で仕事量は多く大変だという一般的な情報により、スタッフさんも大変だというイメージがある。おそらく施設に相談をしても全面的な改善には至らないだろうとは思われるが。
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(後日追記):
叔母は、その場にいる人たちが親類家族でも誰だかわからない、という状態になってしまっているが、家族に対するイメージだけは記録されているようである。
私がそれぞれを指さしながら、「誰々よ。」と説明している最中、目の前の人が誰だ、というのはあまりきちんと聞いていないし理解もできなくなっているのだが、「お姉さん(母)」と言って母を指さしたところ、「ああ、お姉さん。お姉さんはねえ、まわりのみんなを押しのけて、ほら、聞きなさい!っていう人なのよねえ」と、私の母に対して描いていたイメージのようなものを暴露したのである。
母本人がとなりにいるというのに、それは理解していないようであったが。
本当は、叔母(母の妹でこちらもホーム入居中)も、従弟夫婦の同伴で墓参りに誘っていたのだが、認知症が大変すすんでしまっており、家族の顔をみても誰だかわからなくなってきており、母のことも他人だと思ってしまっていることから、道中の高速道のサービスエリアでの会食のみとなり、墓参りの出席はキャンセルになってしまった。従弟の顔も、時間がたってくると思い出す?という感じのようだった。
従弟からの説明で、レビー小体型認知症とアルツハイマー型認知症、両方の型の認知症を発症しているということを、すでにおととしからきいていた。が、最近コロナ陽性になった後、そのあとにぐっと症状がすすんでしまったようだった。
会食で、母とはすぐにうちとけて手を握り合ったり仲良くしている風だったが、母がどこのだれかということは、とうとう最後まで理解できなかったようだった。(おそらくその場の皆のことも)
私とも、ランチを囲むテーブルではよく目が合い、笑いかけてくれていたのだが、話の内容は支離滅裂で、そうよね、そうよね、でお互いよくわからず笑いあうという感じであった。
母もかなりがっかりだったようで、叔母と会うのもこれが最後かもしれないなどと言っていたが、年を取るというのは本当にこういうこともあるのだなと思った。