2024年12月29日日曜日

「テレンス・コンラン モダンブリテンをデザインする」展をみてきました。(東京ステーションギャラリー)

 

お茶目な表情で、素敵なお兄さんが振り向きながら微笑む写真。若き日のコンランだろうか。が、実際に展示にでてくるコンランは、渋声で話すおじいさんであった。

純粋な美術・芸術作品というくくりではなく、インテリアを美しく作り上げていく、インテリアデザイナーとしてのコンランの作品展であったと思う。

1960年代のモダンアート風かなと思ってみてみると、1950年代前半のころから、これらモダンテイストのインテリアを世に出していたようであった。


洗練されたものばかりで、現代の日本でも十分おしゃれなものとして受け入れられそうである。1950年代初期の日本は、おそらく敗戦後でそれどころではなかったと思われるが、イギリスなどの裕福な国ではすでに、このようなものが生み出されていたようである。

家具作成時に木を削る香りは素晴らしいとコンランは述べているが、木の素材は人体にもやさしく、自然のぬくもりを感じさせてくれるものである。

コンランがトップを務めていたコンラン&パートナーズ、というところが、(他にもあるかもしれないが)赤坂アークヒルズや六本木ヒルズ、二子玉川の再開発にも大きくかかわっていたことや、日本国内にもいくつか「コンランショップ」というものがある、ということである。

ななめ読みしかしていないが、コンラン概要まとめらしきものがあったので、載せておく。

https://www.artpr.jp/tsg/conran2425


2024年12月24日火曜日

ハンドベル・クワイアコンサートを観てきました

 

今年初めて、ハンドベルのコンサートに行ってみた。

ハンドベルの音は、とても上品でマイルドな音色で、耳にやさしいものだった。

私としてはもう少し、カーン!コーン!と、ハッキリとしたパンチのある感じの音が好きなのだが、どうもこもった感のある音が物足りず、聞いているといい感じで眠気を誘ってしまう感じであった。同行の娘は逆に、とても音色が好きで気に入ったようで、また来年も行きたいようなことを言っていたが。

2024年12月22日日曜日

インスタでとれたコミュニケーション

 

画像は、イメージです。


BちゃんにDMを送り、挨拶をした。電話でお話をすることになった。年賀状ではチャットができないために相手の反応がわからず、会話もできないので、ネットによりリアルタイムに近い感じでチャットができて便利である。

で、共通の友人だった美紀ちゃんのことにもふれ、電話で話した。もちろんそれぞれの母親同士も交流していて(美紀ちゃんのところは関西なので、主に年賀状だったが)、たまたまBちゃんがお母さんと今年の初めごろに三重に旅行に出かけた後、せっかく近くに出てきたので美紀ちゃんのお墓参りだけでも、ということで連絡をしたところ、美紀ちゃんのご実家に招かれたということだった。

美紀ちゃんはもういなかったが、お父さんお母さんは元気にしていたということ。結局世間話や思い出話や家族の話中心で、美紀ちゃんがどうして亡くなったかなどの細かいことは一切話されなかったので、そのまま帰ってきた、ということだった。

Bちゃんは、美紀ちゃんは、地方局のあまり知られていない無名アナウンサーだとばかり思っていたが、ネットニュースでもさんざん取り上げられるほどの、関西では有名なアナウンサーだったんだねー、やっと気が付いた、などと言ったのんきな調子で話していた。たしかに関東ではほとんどTVに出てこないので、こちらではあまり顔は知られていないかもしれない。

その他、家族の話、どうでもいい世間話などで談笑して、電話を終えた。

今のところインスタに期待できることは、チャットができて、そこから年賀状以上のコミュニケーションがとれそうだということである。

インスタなどのSNSや年賀状というのは

 インスタは、アカウントは持っているものの、どちらかというと自分発表の場というのか、写真をとってみんなに見てほしいー、という感じで使うというイメージが大きいため、気になるインフルエンサーなどのフォローはするものの(それでもあまり見ていない)、ほとんど自分用としては使っていなかった。



 年賀状の場合だと、1行、2行の文言が思いつけばいい方だと思う。また会いましょう、だの今年は何々を始めようだとか、家族の誰々は、何々にはまっています、などのまあ、どうでもいい話題というのか。 結局、毎年毎年、年賀状用の自作のフォーマットに、この写真を載せようかときめたらそこだけ替え、決められた文面と自分の住所はそのまま使い、ほとんど作業化してしまっている。

文字を書く機会も、PCやネット文化のため昔よりも減り、キーボード入力が主流となってしまっているので、久しぶりにきれいに宛名を書こうとすると、これがなかなか面倒なうえにゆがんでしまったりする。

宛名ソフトを利用した時期もあったが、住所変更だの、喪中で出したらいけないなどのちょっとした留意点もあるが、思わぬ副作用があった。出状しているのに書いた気が全くしなくなってしまったことと、年賀状へのやる気がものすごく下がってしまったことがあった。活字で出力された宛名を見ていると、1行2行の文言すらも書く気が失せてしまうという、機械的にしたことへの副作用だった。このあたりから、年賀状への自分の変化を感じ始めた。

それでも、写真付き年賀はがきなら、みんなの写真がついていると、状況がわかって良かったのだが、個人的には元々自分の写真を載せる興味があまりなく、考えすぎかもしれないが、昨今の個人情報に関する問題だのネットによる写真流出だの悪質な加工だのと、問題が複雑化してきて、ますますやる気がなくなってしまったため、出かけたところの写真などを無難に載せたりしている。

もともと年賀状は、インターネットがなかった時代は一大イベントで、それをしないとそれっきりになってしまうパターンが多すぎたため、大事なコミュニケーションツールだったのだ。ご年配の方の場合は、インターネットをする・しない人と分かれると思うので、まだまだ年賀状が音信を伝える手段となる場合もありそうである。


年賀状をやめます、という人がちらほら出てきて、ご高齢の方以外にも3名、合計4名の人が、年賀状卒業のことが年賀状に書いてあった。郵便料金の値上がりも近年大きく、高くなったなあという印象であり、今後も郵便控えは増えそうである。

ひとまずは、年賀状にはインスタで写真を載せることにしてアカウント名を伝え、今後は年賀状とインスタを同時並行しながら続けていきたいと思う。喪中はがきのこともあるし、やはり安否確認の手段としても、年賀はがきも一定の必要性があるような気がする。



年賀状じまいの人が増えている中

 今年の年賀状で、年賀状じまいでインスタをはじめるという文面の友人がおり、年賀状の季節になってきたので、そちらのインスタを検索し、名前を添えてDM(ダイレクトメッセージ)を入れてみた。


本当に長いこと会って話していなかったが(渋谷の文化村あたり?で会ったのが最後だったと思われる。)、それもなんだか、とりとめもない話をして終わった記憶である。(「あげまん」という故・伊丹十三監督作品の映画からその言葉がはやったが、友人Bちゃんが、たしか職場で秘書をしており、自分の直属上司が左遷されたから自分はさげまんだ、などといったジョークを言っていた記憶があった。)

オランダ居住した小学校時代、MBSの高井美紀アナウンサー(2023年1月死去)となった美紀ちゃんと、三人でよく遊んでいた友人だっただけに、古い思い出は共有できていたけれども、特にそれから会って話すということもなく、そのまま年賀状交換だけとなっていた。(都内在住同士なので、Bちゃんのお母さんと母は、母がパーキンソン病が悪化するまでは会っていた)

が、インスタにDMを送ってから、年賀状とは比にならないコミュニケーションがとれたのである。

2024年12月20日金曜日

自動音声での営業的な電話

 ロボコール、という自動音声での電話がかかってきたことがあった。肉声での営業ですらうっとうしいのに、そんなものでこちらの時間をとらせるのは、とても礼を欠いていて失礼だというイメージしかない。が、多くの引退高齢者は親切で、こういったものに対応する人もいるのだという。



ネット情報であるが、ロボコールの多くは詐欺電話だそうである。中には闇バイトでの押し入り強盗が、家に金品が多そうで襲いやすいかどうかの情報をさぐっていることがあるのだという。老人、戸建、持ち家、築年数が古いか(ローンの有無)などを探る可能性があるそうなので、気を付けておいたほうがよさそうである。



2024年12月18日水曜日

二子玉川のクリスマスツリー

 いくつか写真に収めてきたので、載せておきたいと思う。(玉川高島屋と駅前広場)

子どもたちの写真スポットとしても人気らしい、こちらのツリー。


色が順々に変わっていく、駅前広場のツリー。



2024年12月17日火曜日

従弟夫婦が母のホームに訪問してくれました

 

(画像はイメージです)

ホームの1階の端部分に、応接室(小さな会議室風)の部屋があり、人が集まるときに利用できるようになっている。

(先日は、私の姪で、母から見ると孫のFちゃんが女の赤ちゃんを出産してその赤ちゃんを夫婦でホームに連れてきてくれた。母のひ孫にあたるが、生後一カ月ほどの赤ちゃんは、とてもかわいかった。丸っこいし、あまりにかわいいので、私も二回ほどだっこをさせてもらった。育てるのはとても大変だが、ちょっと抱っこするのはとても楽しく癒される。)

訪問してもらったのは、母が常日頃気にしている、実の妹(私から見ると叔母、従弟Uくんの母親)にあたるZさんのことをくわしく聞きたいという趣旨であった。

従弟のUくんは、結婚後、途中まで実家で親たちと暮らしていたようだったが、途中で近くに転居し、実家に近いことから、両親との接点は一番あった。

去年亡くなった父親の臨終を看取り、母親は認知症専門のグループホームに入居中だが、症状がかなり進んでいる状況である。

兄弟はお兄さんがいるが、大阪在住のため、東京にはいない。なので、Uくんがお母さんのホームにたまに行っているようである。

Zさんはすでに会話のキャッチボールができず、息子のUくんが誰であるか、ということも理解できなくなっており、話の内容ももちろん理解することができず、一人でぶつぶつと何か言っているだけの状況だそうである。

なので、母には何度も、Uくんのことすらわからなくなっているのに、Zさんに会って会話するのは無理だと説明していたのだが、「昔の話をすれば、何かを思い出すかもしれない」と、無駄な期待をよせていた。 が、「人の話を理解することができなくなっている」ということで、Uくんからも説明があったので、そろそろ諦めがついただろうか。


2024年12月4日水曜日

趣味のレジン






材料・・レジン、極小カラーガラスビーズ、ルチル風シルバー、蓄光パウダー