2024年3月22日金曜日

ロンドンで会った、ホームレスのおばあさんの話

 

画像は、イメージです。

マルタはヨーロッパにあり、イギリスとは近いため、往復交通費も安い。そのため、この機会に是非訪問したいということで、娘が週末の語学学校の休みにイギリスにも行ったようである。自己フォロー自己管理が苦手で今後もいろいろな不便が起きるであろう、心配な娘であるが(後からぽつりぽつりと話を聞くのだがやはり、バスなどには何度も乗り間違えるなどしたらしい)、自分で交通機関・宿の手配なども自分で行い、無事に行って帰ってきた行動力は一応ほめておきたい。

ロンドンに行ってから、すごい、いいところだという報告は受けたので、数少ない機会の中で楽しむチャンスを得られたので、ラッキーだったし良かったと思う。

が、きらびやかな都ではあるが、一方生活に困っている人もいるのも事実で、道中、ホームレスのおばあさんが、「ソーリー。ソーリー。」と言いながら両手を合わせてこちらに物を頼むゼスチャーをしていたということだった。家賃や物価の上昇で、住む家をなくしたりして路頭に迷う人も世界中でいるそうであるし、このおばあさんもそういった世の中のあおりを受けた人だったのかもしれない。

現金も少なく、物価も高いため、仕方なくそのまま通り過ぎていたが、最後の日あたりで、ホテルの部屋で無料配布されたクッキーをもらったので、それをあげてきたということだった。もちろん、何もしてあげられないよりもいいのだが、一時しのぎでそういうお恵みを受けていたとしても、寒空の下でそんな生活を続けるうちに体を壊して、そんなに長く生きられないかもしれないので、どうにか生きられる手立てが見つかると良い、としかいいようがない。



2024年3月21日木曜日

あの時食べた、あの味をもう一度

 学生時代に所属していた学園祭実行委員会の打ち上げ?で、渋谷のパブパルコ(今はもうない)、というところを利用したことがあったと思う。

場所はおそらく、渋谷センター街周辺で、やはりパルコが名前についているのでPARCO周辺~スペイン坂あたりだっただろうか。

そこで食べた忘れられない一品料理があり、それはチンゲン菜のクリーム煮であった。ガーリックがきいていて、生クリームで仕上げてあっただろうか。とてもおいしかったのだが、どこでも食べられそうなメニューなのに、どこに行っても食べられなかった。

心にいつの間にか刻んでいて、どうしても食べたいのだろうなと思っていたが、チンゲン菜を、たまたま立ち寄った近所のマツキヨ食品コーナーで見つけたので、作ってみた。

アレンジとして、ブロックベーコンとプチトマトも投入。生クリームが売っていなかったので牛乳で代用し、片栗粉でとろみをつけた。

当時のものは、トマトもベーコンも入っていなかったので、もっと白っぽいが。チンゲン菜はガーリックがとてもよく合う。トマトも甘みが出て良かった。



学生時代の記憶より

 自分が学生だったころに、学園祭の実行委員会に所属していた。きっかけは、入学時のさまざまなサークルからの勧誘で、T代先輩の「楽しいわよう~♪」という言葉と、当時つるんでいた、Kちゃんと亡くなったMちゃんとで、なんとなくノリで入ったという、なんとも優柔不断な状況からであった。(本当に楽しかったかはちょっとよくわからないが、何もしないよりは思い出にもなったし、よかったと思うが、責任ある仕事もあって先輩がピリつくこともあった)

部室ならぬ、会室で、かなり年代物の少女漫画雑誌がおいてあり、時折そこに行って友人たちとそれを読んだり、学食を食べたり、おなじ委員の子もたまにそこに立ち寄ったりしていた。



それぞれの部室がカーテンでしか区切られていなかったような記憶があり、部屋というよりも四角いテーブル(多分、二つくっつけて並べていた)と、その両側に置かれた長い椅子、それだけでスペースがいっぱいいっぱいであったと思う。

違う話題の前置きとして書いたのだが、話が長くなったため、一つの話として保存する。


2024年3月20日水曜日

そして、サイフをなくす(マルタにて)

 かなり典型的なトラブルを、すべて起こしている気がしてならないが、娘が今度は、サイフをなくしたと言ってきた。

ジェラート屋で買ったジェラートを海の方で食べ、街の方の土産物店に移動し、ブレスレットを買おうとしたところ、サイフがないことに気づいたそうである。おそらくスリだと言える。

画像は、イメージです。


そして、不幸中の幸いということで、少し良かったと言えたことは、旅行中の諸経費を払うための、プリペイドカードおよび、現金は無事だったということだった。

諸経費が払えなくなった場合の悲劇は、とんでもないことになるのではないかと私も心配したが(滞在中の食費が払えない、交通費が払えない、何もできない、ということ)、それだけは免れたようだった。(悲劇の経験者の投稿ブログがあったようなので、あとで載せておく。)

 盗られたのは、サイフまるごとで、中には、少額入ったプリペイドカードと、ATM引き出しのできるカードのみだったので、お金的にはどうにか助かったとしか言いようがない。娘の連絡直後に、すぐに利用停止をかけ、ほぼ事なきを得られたと思う。

 が、残念なことに、なぜか一緒に入れていたらしいマイナンバーカードと、健康保険証を、サイフと共に盗られてしまったということが後で判明し、マイナンカードは海外ではあまりされなそうだが、悪用防止のために利用停止処理をし、再発行の問い合わせもした。健康保険証も再発行をお願いした。

悲劇のブログ(娘が見つけてきた)・・
初の海外で財布を盗まれた



娘が短期留学(マルタ)に行きましたが

 

イタリアのブーツ型地形のつま先の先あたりにある、地中海に浮かぶ島国。美しい風景が広がっている。2月24日出発、帰りは3月11日である。(2週間)

最初からトラブル発生。旅行の荷物を詰めることばかりに無我夢中となって、携帯の設定を日本で行ってから行くことを完全に怠っていたのである。その結果、携帯のsimロック解除をしないまま出かけてしまったため、私と唯一つながるのがCメールだけだった。e-simという、ネット経由で購入できるsimがあり、そこのサイトからダウンロード購入することで、現地でつながるとのことだったが、simロックが機種ごとの設定によって、たまたまロックがかかっていたため、つながらない騒動が起きたのだった。日本できちんと確認しておかないと、こういうことになる。そしてつまり、ネットもできないし、ラインチャットもできず、必要なアプリもダウンロードできない状態となった。

e-simがつながらないだの、留学エージェントで用意された連絡アプリ(ワッツアップ・・ラインのようなもの。海外ではこちらが主流であるらしい。)だとか、必要なものももちろんまったくダウンロードできず、唯一の生命線となったCメール(simやwifiがつながらなくても、海外回線・料金で使えるらしい)で、なんどもこちらとやりとりすることになった。留学エージェントにも問い合わせた後で、e-sim会社に問い合わせたところ、simロックがかかっている可能性があるということで、週明けの営業日に携帯会社に直接訪店して問い合わせた。一度店をでて家に戻って画面をひらいたところ、パスワードが今度はわからないために、再度訪店・・、という二度手間三度手間をすることになり、本当に疲れることこの上なかった。

携帯の設定は、出発前に終わらせておかないといけない。娘の頭には、まったくそれがなかったし、こちらも普通はやっておくだろうくらいにしか思っていなかった。その結果がこれで、まあよく考えたらこれとよく似たパターンのことは、これまでも何度もあった。私も周りが見えなくなりがちな親(発達障害あり)に、放っておかれて育ったところがあり、そこもかなり仇となってしまっているが、くれぐれも今後も注意しないといけない。