2025年5月27日火曜日

コメ価格

 

250527現在、税込5173円

愛着のあったスーツケースだったが

 

マンハッタナーズのスーツケースだと記憶している。



12年前に、住んでいた地元のショッピングセンター内で購入した。柄としては、少し派手な感じもしたがとても気に入っていた。1万円前後してめちゃくちゃ安いわけでもなかった記憶だが、買って結構最初のころから、不具合が順番に発生した。造りや材質が、初めからダメだったようだ。

①(上図)手づかみ用の取っ手を留めているビスが、左右二本づつあるものだが、それぞれ内側のビスが外れ、再度はめなおせなかった。各々外側のビスで金具はどうにか留まっているので、金具の出っ張りになんとか取っ手をひっかけ、外れやすかったがだましだまし使っていた。

②その後、にスティック側の取っ手のつかむ部分(ゴム)が劣化のため溶け出し、ベタベタになり、そのまま持つのは無理になった。ラップで巻いてカバーした。

③とうとう最近、外側のビスで留まっていたのが片方外れてしまい、手づかみ用の取っ手が全く使えなくなってしまった。

というわけで思い出もそれなりにあったが、あまりにも残念な状況なので、処分することにした。



2025年5月26日月曜日

海産物

 

水族館内のスジアオノリ。青々としてきれいな色だった。

25日 その2(AOAO水族館)

 




ヘコアユ。上に登って行ったかと思うと、下に降りてくる。これを群れで行うので面白い。



猫の毛皮を貼り付けた石のように見えるが、ウニらしい。



25日 その1

 



ヒトデ

大昔のジュゴンの祖先的生物の骨格標本


時計台

札幌テレビ



親戚の結婚式に参列しました(札幌)









やぎりんトリオ・リベルタのチャリティコンサート(としま区民センター)

 

(画像中央)作詞家:やぎりんこと八木倫明(ケーナとナイ)藤枝貴子(アルパ=パラグアイ・ハープ)・清永充美(ギターと歌)さんらのトリオ。

友人が音楽のコーディネイターをしており、さまざまな音楽家たちの会場の手配などをする仕事をしている。招待してくださったので、こちらのコンサートを先日観に行った。

ほのぼのとした雰囲気で心温まるひとときを感じることができた。ご本人たちの作詞作曲の音楽もあったが、海外民謡が多く取り入れられていた。

二曲だけかなり脳内でリピートする曲があったので載せておく。(もともと有名曲で知っていたのかもしれないが、この音楽会の後から脳内演奏するようになってしまった)動画はそれぞれたくさんあるが、一つだけのせておく。

・「広い河の岸辺」(英国民謡、やぎりん訳詞)NHK朝ドラ『花子とアン』『マッサン』にも登場した曲だそうである。

https://www.youtube.com/watch?v=bwdo-Hhp0kQ

・「思い出のサリーガーデン」

https://www.youtube.com/watch?v=lH3mg0R6X2I




本日のAI画像(0526)

 

「はい、イヒヒー。」赤い着物の人の後ろの人も気になる。





2025年5月19日月曜日

昔々、父と話していた話(宇宙の壁)

 宇宙に出てしまうと、どこまでも永遠に空間があり、終点はないという話になり、子供ながらにどうしてもその感覚がつかめなかった。「本当にどこまで行ってもずっとそのままなの?」ときいたところ、「じゃあ、宇宙のどこかに大きな壁があったりするの?」と父から言われ、確かに何もない方が自然だなあ、と思ったことだった。

そうなってくると自分の手には負えない次元の話だし、考えてもついていけないので、宇宙の果てのことなど考えずに結局、自分の星で自分の環境の中で良く暮らすしかないのだと思ったのだった。


(おまけ)画像検索からたどりついたこちらの記事は、ちょっとおもしろい。(虚構新聞) https://kyoko-np.net/2015091601.html

この記事を見て思い出した、本当の話。

実際に「量子物理学」分野の実験により、今自分たちのいる世界が、仮想現実だということがわかってしまった、というのは事実だそうなのである。観測者の視線が入ると初めて、量子が並びなおす、といった奇妙な現象が起きるらしい。

量子は普通に検索すると「原子や電子、光子などの、極めて小さな物質やエネルギーの単位」で、世間一般的な法則とは違う世界の法則の中にあるようである。

2025年5月16日金曜日

ジョージア旅行の追記 親切なおばあさん

(イメージ画像です)
 

その時、オールドトビリシから美術館を目指していたのだが、バスで行こうということになり、乗ったところ、途中で降ろされてしまった。その時に、同じバスに乗っていた、頭をスカーフ巻きしたおばあさんも一緒に降りたのだが、私たちが降りた地点で立ち止まり、あれおかしい、ここ終点だったのか、と話していたところ、そのおばあさんが近づいてきて親切に案内をしてくれた。

向かいに渡り、xxx番のバスに乗るといいよ、と教えてくれた。片言の英語で、数学の先生をしていたのよ、とも言っていた。そして、私の手のひらにボールペンで、バスの番号を書き込んでくれたのであった。

ドレイ(3)・ヌオ(0)・〇(忘れた)と言いながら書いてくれたが、ドイツ語なのではないかと思った。というのは私は初歩のオランダ語は一部わかるので、発音がとてもよく似ていたからであった。とはいえ、英語以外だとほとんどわからなかったのだが、おばあさんはとにかく、目の前の信号を渡って、このバスに乗りなさい、と何度も言ってくれた。

そんな温かみを感じながらだったのだが、渡った後に、教えてくれたバスが反対向きに走っていたので、おばあさん違うわ‥、と言って乗らないで歩いてしまったのだが、後から方向転換するらしく?結局合っていたようだったので、別れて時間がたってからだったが、ちょっと申し訳なく思った。


2025年5月7日水曜日

5月6日 火の鳥展(森美術館)

 

手塚ファンなら観覧必須だろうと思われる。

熱狂的ファンなのではないが、家庭環境的に、小さいころから手塚治虫の作品を読んでいた。父が鉄腕アトムの32冊?セット(カッパコミックス)を購入していたが、私が初めて目を通し始めたのは小学校低学年からだっただろうか。

アトムは、生みの親である天馬博士が事故死した息子・飛雄をよみがえらせたい一心で作り上げた、身代り的な存在として生まれた。


その後、火の鳥を読み、父がブラックジャックを買い、さらに兄も七色インコやその他SFものを買い集め、自動的にその漫画を読むことになった。

手塚治虫が好きだから、とかではなく、とにかく子供のころから読んでいたのだが、全部を理解していたかというとあやしいものであり、たしかに場面場面を画像として記憶していたりするのだが、本当に味わって読んでいたかというと、子供だったしかなりあやふやである。

作品全体に生きること、死ぬことについての永遠のテーマが見られるが、考え方の深さを広げる、という意味ではおすすめかもしれない。例えば火の鳥に出てくる「我王」が、てんとう虫に恩返しされつつも疑心暗鬼のせいで殺してしまって、あとから本当のことを知る、という悲しいストーリーや、「牧村」を育てるために、仲間も自身の人間性も捨てて宇宙植物にメタモルフォーゼした女性の悲しい存在感など、子供としては物語の本題とはかけ離れたところしかつかめていなかった感じもするが、いろんなシーンが印象深く残っている。

それをなくす(死ぬ・失う)ことによって、その生命や存在の大切さに気付く、という描写が多いだろうか。だから、物語それぞれになんとなく悲しさや寂しさが感じられることが多いのかもしれない。


5月5日 勝どき・隅田川