たまたま目に入った複数人の方のXへの投稿で、 以前自分が問題に感じた知り合いの言動について、このような分析もできるのだろうか、と思ったことが書いてあったので、保存記録しておきたいと思った。親が毒親であるかどうか、というのは投稿者さん側の表現上の言葉なので、当てはまるかどうかまでは、わからない。(本人的に問題を感じるなら、精神科の受診が良いと思う。)
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毒親育ちアダルトチルドレンの「他人への突発的な怒り」には、必ず自分の我慢の歴史が隠れてます。
僕の友人が、電車で足を広げて座る人に 異常な嫌悪を感じると言ってました。 本人も「こんなことで」と落ち込んでた。 でも話を聞くと、その友人は幼少期から 「人に迷惑をかけるな」を徹底的に躾けられて、 自分のスペースを主張することを一度も許されなかった。 つまり怒りの対象は足を広げた人じゃなくて、 「私は広げることすら許されなかった」という記憶。 ムカついてるんじゃなくて、疼いてる。 この視点を得てから、友人の怒りは 自分を責める材料から、 自分を知る手がかりに変わりました。 怒らない人になる必要はないんですよね。---
毒親育ちって、電車のマナー違反とか、サボってる同僚とか、他人の些細な行動に突発的な怒りが湧くんだよね。
で、その後「こんなことでイラつく自分は心が狭い」と二重に落ち込む。
性格の悪さで片付けてるうちは、この怒りは一生消えない。
精神科医の間で知られてる、その正体が拍子抜けだった↓
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他人への怒りの正体は、心の狭さじゃない。 「我慢して生きてきた人ほど、他人に怒りや嫌悪感を抱きやすい」。自分が必死に我慢してることを、目の前で平然とやってる人を見ると、心が悲鳴を上げるんだ。
ムカついてるんじゃない。「私はこんなに耐えてるのに」って、昔の我慢が疼いてるんだよね。
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精神科医がよく指摘する構図がある。ルールに厳しい人ほど、実は誰よりルールに縛られて生きてきた人だという話。
サボる人に怒るのは、サボれなかった人。自由な人にモヤつくのは、自由を許されなかった人。つまり怒りの矛先は他人でも、震源地はいつも自分の我慢の歴史なんだ↓
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分かれ目は1つ。怒りを「相手を裁く材料」にするか、「自分の我慢を見つける手がかり」にするか。
やるのは、怒らない人になることじゃない。カチンと来た瞬間、「自分は今まで、何を我慢してきたんだろう」と一度だけ問うだけでいい。答えが見つかるたび、同じ場面で腹が立たなくなっていく。 他人にイラついてしまうのは、心が狭いからじゃない。それだけ我慢してきたんだ。怒りが湧くのは、おかしくない。
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