2023年4月30日日曜日

友人宅新築祝い

 

4人でのホームパーティを行っていただいた

高校時代の友人が、もともと祖母と住んでいた、世田谷の古い家屋を解体して立て直したということでお招きにあずかり、友人と集まって3人で、食材や飲み物を付けたし買いして、おうちにうかがった。

 家主の友人も波瀾万丈で、ご主人がおととし病死され、その保険金を使わせてもらって建て替えたということだった。(友人も仕事をしていて、残金支払いに10年ローンを組んでいる)使い勝手の良い2SLDKのおうちで、二階に上がった廊下の端に、部屋ではないが、机書斎スペースがついていて、書き物作業などにちょうど良い。

 二階に二室あるお部屋の奥には、インナーバルコニーがあって天井近くにも窓があり、そこはすばらしい解放感があった。三階は、屋根裏物置スペースだが、階段で上がれるので行き来しやすい。高校時代のお友達で建築設計事務所の方がいて、そのお友達に建築をお願いしたということで、かなり希望をきいて建ててもらえたということだった。



2023年4月25日火曜日

叔母の認知症

 


団欒室で席に着いたところ、叔母は、うつろな顔で一人、ボーっと座っていた。薬も飲んでいるのもあるそうだが最近は、半分夢うつつというのか、意識がやや遠のいている状態が多いということだった。それでも、会話が盛り上がってくるとそれに乗じて話に参加しようとしてきたが、話の内容はさっぱり支離滅裂で、主語も述語も関係あるようで関係のない言葉ばかりだった。

認知症だからという決めつけもしないほうがいいし、少しはわかってくれないのだろうかという気持ちから、「このお骨、誰のだかわかる?」という質問を投げかけたところ、わからないということだったので、だれのものかを教えたり、周りのみんなが誰かというのも教えたりしたのだが、本人に伝わったかどうかとか、記憶してもらえるかとなると、ますます怪しい。

口うるさい兄は、後になって、認知症の人は、すでにそんなものに対応する脳内の辞書が削除されているのだから、余計なこと言わなくていいんだよ、余計に叔母さんが混乱するじゃないか、と釘をさしてきた。混乱するかしないかまでは知らないというのは私の勝手な見解だが、わからないことを決めつけて勝手にやるなと禁じてくる、兄のいつもの対応もうざったく面倒くさい。

さておき、叔母の状態を兄が解説してきた。叔母が会話をしてくるのは、会話をするというプログラムだけが残っているから、相手がだれであっても関係ない。つまり、そのプログラムが残っているだけで、その動作を延々とやり続ける。その他の機能がぶっこわれて動かなくなっても。ゾンビの理念と変わらないのだそうだ。映画などによって表現されたゾンビは、人間としての理性も知性もなくし、ただ肉を食らう、ということだけのためにさまよいつづけて人を襲うばかりなので、たしかに他の機能はぶっこわれた肉食動物である。

(ここからは、不満事項)だが、誰だかわからないというのは仕方がないが、兄が命令するように、(常識の範囲で)こちらの言いたいことも話してはいけない、という相手なら、むしろ会話の邪魔なのでつれてこないほうがいい、という結論になってしまう。余計に先回りして、閉鎖的な方向にもっていくのはやめてほしい、と思うのである。もちろん兄の推測が間違っているという決めつけもできないが、一方的な言い分は本当に面倒くさい。命令ではなく、相手に考えさせる、ということをもう少ししたほうがいいのではと思うが、この母(思考のADHDが多分にあるので、場面によっては支配的に接さないと、こちらが疲れ切ってしまう)にしてこの子(自分も含め)あり、というのは否めない。

叔父のお別れ会に行ってきました

 

兄が休暇をとって車を出し、車いすの母も連れていった。道中の渋滞やぐだつきのため、お顔をみるのに間に合わず、すでに荼毘に付されているところに到着した。

母の妹の旦那さん(叔父)が土曜日の夜に亡くなり、お通夜と葬式はなしで、月曜日に火葬されるということになり、実家の母と兄と私で斎場まで行った。

83歳での死去だったが、お顔を見れなかったために、従弟たちのスマホに入った写真を数枚見せてもらったが、お久しぶりに見たところ、ずいぶんとおじいさんになっていた、という印象だった。

6年数カ月前、母がまだパーキンソンを患うも、なんとか杖をついて歩けていたころに、叔父が骨折をしたために青山のほうの病院に入院していたのを母と私と娘とでお見舞いに行ったところ、涙を流して喜んでくれていた、というのが最後にみた姿だった。その後は叔母の認知症などがすすんだりといろいろあったが、叔父は叔父で、肺気腫を患って最近は二回ほど入退院をしていたようで、健康状態が思わしくないようだった。

お茶室で、認知症になった叔母・その息子である従兄弟二人・従弟の方の家族たち・こちらの家族・母の弟(元気なほうの叔父)とで、お骨が焼き上がるまでのしばしの団欒をおこなった。終始和やかなムードで団欒でき、良い顔合わせができたと思う。

従兄弟の兄のほうは、3人も子供がいるのだが、おどろいたことに去年離婚して一人暮らしとなっているとのことだったが、だれも生活に支障をきたしていなければよいと思う。

喪主は従弟がやっていたが、すでに身軽となった彼の兄が、弟を手伝う感じのようだった。これまでは、いとこ同士で会ったり、その場に親たちがいると、どうしても自分たちが「子供」だという意識がはたらいていた。

が、上の世代はすでにリタイア世代で、杖をつきつつも元気にしている叔父(母の弟)と、母と、叔母(母の妹)しか出席者がいないし、ただの参列者となっている。もう、行事関係は自分たちの世代が中心になっている。

そして、いつも上の世代がいたなあ(以前、祖父が生きていてまだ元気だったころ、その親戚たちも冠婚葬祭で見かけていた。母の兄弟と子供たちもいるが、母のおじおば、いとこたち、というのが大人数だったのかもしれない。そしてまだ私たちの上の世代、母の世代が中心だった。)、というほんの十数年前~20年前くらいとは代が変わり、人数もこじんまりとして、景色も違っている感じがする。(さらに時間がすすむと今度は、自分の子供世代が家族を作るのだろう。)

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追記:亡くなった父は一人っ子だったので兄弟がいないのと(両親も結婚後に早く亡くなっている)、檀家先のお寺が金銭にがめつく面倒であり?、また墓地の水はけが非常に悪く、年がら年中ぬかるんでいたため、もとの墓地を抜けて違う場所に墓地を立て直したり、その田舎の土地の人間関係や金銭感覚が嫌だと言って母がこぼしていたりと、いろいろな事情で、父の実家関係の親戚や土地とは疎遠状態となっている。

2023年4月20日木曜日

グルメ日記の様相を呈し

 ホームにいる母が、いつも施設にいるのが飽きてしまって外食に出るのを楽しみにしている様子があるため、 昨日は、めがね屋で母のメガネの修理品を出すついでに、食べログで近くにクレープを使ったレストランがあるのを調べておいたので、車いすでも通れるスロープを確認の上、母を連れてそちらを訪れた。


交通量の多い道路沿いにあり、なんとなく埃っぽい中、ひっそりと営業していたので外見的にはそこそこ地味な感じではあるものの、ランチを楽しむ女性客がかなり入っていて、満席近くまで埋まっていた。

ランチセットで出てきたガレット(そば粉を使ったクレープ)。野菜や卵やベーコン、チーズがくるまれていて、おいしい。




2023年4月18日火曜日

本日は、ポトフ

 


やはり、しょっぱい汁ものが欲しい季節である。買った総菜の残りを何と食べたら良いかわからなくなったのもあって、埋め合わせ用にポトフを作成。

鶏肉・カットキャベツ・トマト・玉ねぎ・じゃがいもを使用。鶏肉は野菜調理中に塩コショウで下味をつけ、隠し味にはガーリック・バター・とろみをつけるための片栗粉を使用。

昨日は みょうがの味噌汁

花粉症のせいで体液が減ってしまうのか、乾燥にやられているのかがわからないが、さっぱりとしたしょっぱい汁物がほしくなるこの頃である。みょうがが食べたくなり、二個入りのものを買い、4等分ほどにカットした。娘はパクチーも嫌いで、あまりこういった香りの強い野菜は嫌いかもしれないので、豆腐の味噌汁だけを作り、みょうがはレンジで加熱してから、私だけ入れようかとも考えた。

みょうがのことを聞くと、ひとかけらだけならというので、私のとおなじく、レンチンをして汁に入れた。おかわり一杯分とあわせ、二欠片食べていた。 少しなら大丈夫なようである。あまり好きなものでない場合、汁に香りが広がらないように、それだけレンチンして入れる、というのも一つのやり方としてありなようだった。


またしても撮影前に食べてしまったので、上下ともネット画像より転用。





2023年4月11日火曜日

隣駅グルメ

 

インド・ネパール・タイの料理を出しているお店(エビン)で、カレーを注文した。(手前がチキンカレーとガーリックナン。奥がほうれん草カレーとチーズナン。飲み物はマンゴーラッシーと、マサラチャイ)

今年も八重桜見物

 夕方の時刻になってしまっていたが、桜はとてもきれいだった。









銀座でラーメンと銀ブラ

 SNSの投稿で見つけた、「九州じゃんがらラーメン」、というお店の「からぼん」ラーメンの写真を見て、これを食べに行きたい、ということになって娘と食べに行ってきた。

とても辛かったが、おいしかった。豚の角バラ肉?が甘い味噌に付け込んだ味付けでとてもおいしい。

本命イベントが終わったので、銀ブラをすることにした。
 その晩はとても夜間に気温が下がって冷え、寒かったのだが、いつも携帯しているスカーフがなかったので、急遽100円ショップで臨時ネックチーフなどがないか探すことにした。
 以前、リップティントを購入したメルサの中に入り、化粧品店を通過して100均のセリアに行くと、小ぶりなストールを買うことができた。その後、上階に行くと、6Fに「M 銀座ウイスキー博物館」というのがあって、さまざまなウィスキーボトルがショーケースに飾られて展示されているフロアがあった。

 博物館というのも知らず、なんやらよくわからなかったが、店員さんもあまりおらず、一般客はゼロだった。展示物のように、個性的なボトルが陳列されていたので、物珍しさを感じてそこを閲覧してみた。






これらもすべてボトル。美術工芸品のようである。





2023年4月4日火曜日

星の王子様ミュージアム・閉館

 子どもが行きたいというので、急遽行くことにした。

 最寄駅から出ているバスに乗ろうとしたら、乗り場が複雑で、違うところで待ってしまっていた。そのため乗り遅れ、タクシーで急いで中継バス停へ向かい、そこから遠距離バスで箱根方面へ向かった。

 タクシーをおりてから高速道路へと通路道を歩き、中継バス停らしきものにたどりついた際も、本当にここでいいのだろうか?という不確かさなどもあって、かなり不安な感じもした。バスというのは、座って景色を楽しめるのは良いのだが、難しい。バス停の場所もわかりづらかったり、1本乗り遅れると1時間遅れることもあるのが、余計に困難さを増している。

 

中世風の建物が並び、雰囲気は出ているが、中に入れないものが多い。

門扉もおしゃれである。

こちらも中には入れないのだが、中にも入れるようにして、ヨーロッパの古民家風ショップや喫茶店?にしたら、観光的に大いに盛り上がり、もう少し商業施設として成功できたのではないだろうか。製作サイドの工夫・勉強不足、深みの足りなさもあったかもしれない、というと厳しすぎだろうか。

ベルサイユ風な外見だが、やはりただのハリボテ。
















一見おしゃれなお花・雑貨屋さんかと思いきや、奥は男女トイレで、遊び部分の物足りなさが。

かわいらしい外観の建物が並ぶが、多くが外側だけのディスプレイ。





 多くの建物がきれいでおしゃれな外観だっただけに、メイン展示場と、お土産屋・トイレ以外は中身は何もなしで入れない、というのがかなり残念な感じがしたのだが、3月末をもって閉館してしまった。

 星の王子様の本は以前、なんとなく読み流してしまったが、こちらの原作者・アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリと重ね合わせてみることで、やや見解が深まったような気がする。星の王子さまは、作者の分身のような存在であったかと思う。

 原作者は、貴族出身の飛行機パイロットで、最期は戦時中の洋上で?飛行機に乗ったまま消息を絶った、とされていた。が、後に、撃墜されたことが判明。撃墜した人は、星の王子様を書いたサン・テグジュペリだとわかったとたん、飛行機に乗ることを永久にやめてしまった、というエピソードがあったようだった。


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 帰りのバスに乗るまでに少し時間があったので、そばのコンビニでつまみ食いのスナックや飲み物を買って、近所を散策。

リゾートマンションやスパの建物がならび、良い景観であった。



 遠距離バスなので、帰りのバスの時間帯もチェックして慌てて出たが、帰りのバスも、出かける前に予約購入しておくことがおすすめであった。道中、急いでネット購入をして間に合ったが、かなりの割合で座席が埋まっていた。それをしない場合は、通常の市営バスで小田原方面(だったか)に向かうなどして帰る方法もあるようであるが、電車乗り継ぎも面倒そうである。高速バスは、自宅最寄り駅沿線の比較的近い駅まで歩けるバス停で降りて、帰宅した。