2023年4月25日火曜日

叔父のお別れ会に行ってきました

 

兄が休暇をとって車を出し、車いすの母も連れていった。道中の渋滞やぐだつきのため、お顔をみるのに間に合わず、すでに荼毘に付されているところに到着した。

母の妹の旦那さん(叔父)が土曜日の夜に亡くなり、お通夜と葬式はなしで、月曜日に火葬されるということになり、実家の母と兄と私で斎場まで行った。

83歳での死去だったが、お顔を見れなかったために、従弟たちのスマホに入った写真を数枚見せてもらったが、お久しぶりに見たところ、ずいぶんとおじいさんになっていた、という印象だった。

6年数カ月前、母がまだパーキンソンを患うも、なんとか杖をついて歩けていたころに、叔父が骨折をしたために青山のほうの病院に入院していたのを母と私と娘とでお見舞いに行ったところ、涙を流して喜んでくれていた、というのが最後にみた姿だった。その後は叔母の認知症などがすすんだりといろいろあったが、叔父は叔父で、肺気腫を患って最近は二回ほど入退院をしていたようで、健康状態が思わしくないようだった。

お茶室で、認知症になった叔母・その息子である従兄弟二人・従弟の方の家族たち・こちらの家族・母の弟(元気なほうの叔父)とで、お骨が焼き上がるまでのしばしの団欒をおこなった。終始和やかなムードで団欒でき、良い顔合わせができたと思う。

従兄弟の兄のほうは、3人も子供がいるのだが、おどろいたことに去年離婚して一人暮らしとなっているとのことだったが、だれも生活に支障をきたしていなければよいと思う。

喪主は従弟がやっていたが、すでに身軽となった彼の兄が、弟を手伝う感じのようだった。これまでは、いとこ同士で会ったり、その場に親たちがいると、どうしても自分たちが「子供」だという意識がはたらいていた。

が、上の世代はすでにリタイア世代で、杖をつきつつも元気にしている叔父(母の弟)と、母と、叔母(母の妹)しか出席者がいないし、ただの参列者となっている。もう、行事関係は自分たちの世代が中心になっている。

そして、いつも上の世代がいたなあ(以前、祖父が生きていてまだ元気だったころ、その親戚たちも冠婚葬祭で見かけていた。母の兄弟と子供たちもいるが、母のおじおば、いとこたち、というのが大人数だったのかもしれない。そしてまだ私たちの上の世代、母の世代が中心だった。)、というほんの十数年前~20年前くらいとは代が変わり、人数もこじんまりとして、景色も違っている感じがする。(さらに時間がすすむと今度は、自分の子供世代が家族を作るのだろう。)

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追記:亡くなった父は一人っ子だったので兄弟がいないのと(両親も結婚後に早く亡くなっている)、檀家先のお寺が金銭にがめつく面倒であり?、また墓地の水はけが非常に悪く、年がら年中ぬかるんでいたため、もとの墓地を抜けて違う場所に墓地を立て直したり、その田舎の土地の人間関係や金銭感覚が嫌だと言って母がこぼしていたりと、いろいろな事情で、父の実家関係の親戚や土地とは疎遠状態となっている。