2018年11月26日月曜日

旅立っていった後輩

 もうかなり前になる。新卒で入社した会社で、一緒に仕事をした後輩がいた。その係の仕事としては、その後輩のほうが先輩で、社会人として人間として全く頼りなかった自分に、時には厳しく時には温かく接してくれて、とてもできた後輩であったと思う。
 発達障害のある母親(だと今は感じている)に育てられた自分はやはり、その影響を人生の途中まで大きく受け、自分を受け入れてくれる人がいると、とてもほっとして心を預けるというクセがあったと思う。その分、余計にその後輩を「慕う」くらいの気持ちがあったかもしれない。

 少ししてから自分が異動で他部署に行ってしまい、会う機会が全くなくなってしまった。結婚しましたハガキが来て、しばらくしてから会社を退職したり、旦那さんの転勤で引っ越し、と、だんだん距離が離れてしまい、年賀状でのあいさつのみとなっていた。

 去年か、おととし?くらいからか、年賀状が来なくなっていたことに気づいた。人によっては、全く会う機会のない人で、年賀状を送ってこなくなる人もいるし、自分も気持ちが続かず、やめてしまった相手もいなくはない。その類だと思い、ちょっとさみしい?かなと思っていたが、旦那さんから送っていただいた喪中はがきにより、先月亡くなっていたことがわかった。死因はわからないが、年賀状が来なくなったことから、もしかすると病気をしていたかもしれない。

 ずっと以前から会うことがなくなっていたので、若いころの彼女のイメージしかわかないのだが、とても小柄でかわいらしく、手もとても小さく子供のような手、でも内面は大変しっかりしていて頼りがいがあった様子。足もとても小さいので、子供靴売り場に行かないと会社用に使いたいサンダルがなかった、など。

 すごく荒れた手をしていたのでどうしたのかと聞いたら、両親が仕事で遠方に引っ越していて、本人とお兄さんが就職しているので引っ越さず、二人で住んでいて、洗い物などの家事はすべて彼女がやっていて、と。薬塗ってる?ときくと、家事すると流れてしまうからつけていない・・、などなど。
 家事の終わった後につけたらどうなのか、という意見は言えずじまいであったが。もしかしたら、無理をして養生しないまま我慢するタイプだったかもしれない。



 後から仲良くなった協力会社の女の子でとてもしっかりした子がいて、同じ職場で働いていたが、そちらは後輩(男性)がものすごく仕事ができなすぎ(たそうである)、しょっちゅう、公開処刑のように声を大きく張り上げてその後輩を叱り続けていたのを見ていた。「オマエはだから、何度も同じことを言ってるのに、どうしてできないんだ!」あーー、またやってる・・。
 そんな彼女はこちらの仕事風景を、「こっちはこんなに気分が荒れていたのに、そっちは幸せそうな空気が流れていて、ああ・・、いいなあ・・。」と思いながら仕事していたそうである。

 楽しい時間もあったが、厳しい感じで対応された時間もあり(自分がダメなのが原因だった)、いつもそういう訳でもなかったのだが、短かったけれど、本当にその時間はかけがえのない時間だったかもしれない。本人に本当に会えなくなって、とても寂しい。